最終更新 2014年1月28日
秋田市は、秋田県のほぼ中央に位置し、日本海に面しています。市の東部には出羽山地があり、南部を雄物川、そして市街地を旭川が流れる、水と緑豊かな美しい街です。
秋田市の街の歴史は、慶長7年(1602)にはじまります。関ケ原の戦いの後、佐竹義宣が、常陸から秋田に国替えとなったのがこの年です。 義宣は当初、秋田氏の居城だった土崎の湊城に入城しましたが、手狭なため、同9年神明山(現在の千秋公園)に新城を建設し、新たな城下町の整備を進めました。この時築かれた城下町は、久保田と呼ばれ、現在の秋田市の原型となりました。
明治4年、藩名を久保田藩から秋田藩と改めた時に、城下町である久保田を秋田町と改称し、同年の廃藩置県により秋田県が設置され、県都として秋田町が選ばれました。
その後、明治22年4月1日に市制を施行し、平成9年4月1日に「中核市」となり、人口約32万人の県都として発展を続けています。
昭和3年6月に制定、的に「矢留」の形と、秋田市の「田」の字をあらわしています。
「矢留」とは旧秋田藩主佐竹氏の居城「久保田城」の別名。
けやき 昭和43年、田沢湖で開かれた全国植樹祭において、各市町村の木が植樹されることに伴い、スギ、クロマツ、ケヤキの中からケヤキが市の木に指定された。ケヤキは、市内に広く分布し、代表的な生息地として千秋公園、日吉神社、総社神社などがある。
さつき 昭和37年、毎日新聞社の提唱により県内8市と県生活協議会が主催し、「市民の花」を募集した。その結果、秋田市では秋田藩初代藩主佐竹義宣が国替えの際に水戸からさつきを持ってきて愛育したことから、また高尚、優雅な樹姿であることから、市の花に選定した。
「秋田市記念市民歌」は、市制90周年を記念して広く市民のみなさんから歌詞と曲を募集し、昭和54年に誕生しました。
※音声ファイルは平成21年7月12日に開催した秋田市制120周年記念式典での秋田市民歌メドレーを録音したものです。 指揮:羽川 正 伴奏:清水 洋子 合唱: 聖霊女子短期大学付属高等学校合唱部 秋田大学教育文化学部附属中学校合唱部 秋田市立広面小学校音楽部 秋田少年少女合唱団 秋田市記念市民歌の著作権は秋田市に帰属します。 |
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※手書き楽譜は作成当時のものです。 |
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