最終更新日 2017.1.13

秋田市の先人たち

《秋田市の先人たち》

秋田市で生まれ、または秋田市と深い関わりを持ち、秋田市内、秋田県内、国内外で活躍した先人たちの主な活動内容等を紹介しています。
比較的知られた偉人だけでなく、あまり知られていなかった先人や、地域に貢献した先人も取り上げています。

  
NO. 名 前 生誕地 活動内容 生年・没年 詳 細
森川源三郎 新屋表町 農産物の品種改良や農家経済の立て直しに尽力し、エコやリサイクルも実践した。 1845(弘化2)年
  〜1926(大正15)年
高橋武左衛門 横手市下境 四ツ小屋御野場一帯を開発し、先農の神と称された。 1740(元文5)年
  〜1819(文政2)年
井口阿くり 南通亀の町 スウェーデン体操を実践指導し、日本女子体育の母と呼ばれた。 1871(明治3)年
  〜1931(昭和6)年
千蒲善五郎 大町一丁目 石油開発を実行し、秋田油田開発の父と呼ばれた。 1817(文化14)年
  〜1889(明治22)年
吉川五明 大町三丁目 奥羽四天王の一人と称され、秋田俳壇に全盛期をもたらした。 1731(享保16)年
  〜1803(享和3)年
近江谷栄次 八郎潟町一日市 発電所を興して、秋田市の電灯のさきがけをなし、土崎築港運動にも尽力した。 1874(明治7)年
  〜1942(昭和17)年
岡部正蔵 河辺戸島字本町 岩見川の治水に尽力し、農業、林業、教育の振興にも貢献した。 1845(弘化2)年
  〜1918(大正7)年
多田等観 土崎港旭町 ダライ・ラマのもとで修行し、膨大な資料を持ち帰り、チベット学の発展に貢献した。 1890(明治23)年
  〜1967(昭和42)年
伊藤永之介 西根小屋末町 東北農村を舞台にユーモラスな説話体で描き、新しい農民作家となった。 1903(明治36)年
  〜1959(昭和34)年
10 栗田定之丞 中亀ノ丁町
(現、楢山南中町)
秋田藩の沿岸部に、地域の村人とともに砂防林を造り、田畑や家屋を守った。 1767(明和4)年
  〜1827(文政10)年
11 石井露月 雄和女米木 正岡子規に俳句を学び、河東碧梧桐、高浜虚子等と並ぶ俳人と称された。 1873(明治6)年
  〜1928(昭和3)年
12 和崎ハル 楢山南新町 秋田最初の美容師となり、婦人の人権確立、地位向上に尽力し、婦人運動の母と呼ばれた。 1885(明治18)年
  〜1952(昭和27)年
13 那波祐生 大町二丁目 日本で最初の民間による窮民救済、育児機関である「感恩講」を設立するなど、秋田の産業振興と福祉に尽力した。 1772(安永元)年
  〜1837(天保8)年
14 杉山政雄 土崎 梨・ぶどう・桃などを植栽して、観光農園を開くなど、砂丘地園芸の発展に貢献した。 1897(明治30)年
  〜1978(昭和53)年
15 川村永之助 川尻上野町 イタリアに川尻組の出張所を設けて蚕種紙を輸出し海外貿易の先駆者となった。 1841(天保12)年
  〜1909(明治42)年
16 小場恒吉 亀ノ丁堀反町 宇治平等院鳳凰堂建築装飾紋様模写復元図の製作や秋田市章をデザインするなど紋様の研究に生涯を捧げた。 1878(明治11)年
  〜1958(昭和33)年
17 鈴木栄治 太平字平形 ゲートボールの創始者であり、日本ゲートボール協会を設立するなど、競技の普及に尽力した。 1918(大正7)年
  〜1983(昭和58)年
18 平田篤胤 中谷地町
(現、中通四丁目)
「霊能真柱」を表して独自の神道論を打ち出し、尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。 1776(安永5)年
  〜1843(天保14)年
19 安江仙弘 中谷地町
(現、中通四丁目)
ユダヤ人の救済に尽力し、イスラエルのゴールデン・ブックに記載された。 1888(明治21)年
  〜1950(昭和25)年
20 町田忠治 保戸野八丁新町上丁 民政党総裁、日本進歩党総裁などを歴任し、政党人として生き抜いた。 1863(文久3)年
  〜1946(昭和21)年
21 小谷部全一郎 上肴町 アイヌ救済のために学校創設などに尽力するとともに、義経=ジンギスカン説やユダヤ人同祖説を提唱した。 1868(慶応3)年
  〜1941(昭和16)年
22 東海林太カ 台所町 「赤城の子守歌」などのヒット曲を出して豊かな歌唱力を示し、 日本歌手協会初代会長を務めた。 1898(明治31)年
  〜1972(昭和47)年
23 青江舜二郎 茶町梅ノ丁 「法隆寺」など多くの戯曲を発表するとともに、演劇研究書や評伝の執筆にも力を注いだ。 1904(明治37)年
  〜1983(昭和58)年
24 佐竹曙山 江戸浜町藩邸 小田野直武とともに西洋画法を取り入れて秋田蘭画を創出し、日本最初の西洋画論を著した。 1748(寛延元)年
  〜1785(天明5)年
25 武藤鉄城 豊岩豊巻字杉ノ下 考古学や民俗学の調査研究を行って県の草分けとなり、郷土史研究でも大きな功績を残した。 1896(明治29)年
  〜1956(昭和31)年
26 石川達三 横手市幸町
(幼少期楢山住)
第1回芥川賞を受賞し、昭和を代表する社会派作家として多くの話題作品を著した。 1905(明治38)年
  〜1985(昭和60)年
27 園部ピア ドイツ・バーデン=
ヴュルテンベルク州
日本に渡来後、楢山幼稚園を設立するなど、幼児教育から女子教育さらに私学振興に生涯を捧げた。 1880(明治13)年
  〜1963(昭和38)年
28 山田縫 能代市二ツ井町 子どもを養育しながら医学校に学び医術開業試験に合格し、秋田県の開業女医第一号となった。 1882(明治15)年
  〜1933(昭和8)年
29 勝平得之 大町六丁目
(旧鉄砲町)
ふるさと秋田の自然や民俗を版画で描き続け、ブルーノ・タウトにより世界に紹介された。 1904(明治37)年
  〜1971(昭和46)年
30 二木謙三 千秋明徳町
(旧土手長町)
赤痢菌の新種や鼠咬症スピロヘータを発見し、保健学を提唱するなど、医学界に大きな功績を残し、本県初の文化勲章受章者となった。 1873(明治6)年
  〜1966(昭和41)年
31 寺崎廣業 古川堀反町
(現、千秋明徳町)
日本美術院創立に関わり、帝室技芸員を拝命するなど、近代日本画壇の重鎮として活躍した。 1866(慶応2)年
  〜1919(大正8)年
32 土方巽 旭川字泉八丁
(現、保戸野八丁)
暗黒舞踏創始者として前衛運動の中心的存在となり、前衛舞踏家や演劇人に大きな影響を与えた。 1928(昭和3)年
  〜1986(昭和61)年
33 塩谷仁八 能代市二ツ井町 艱難(かんなん)のすえ山王中島地区を開墾し、品種改良や多収穫にも力を注いだ。 1886(明治19)年
  〜1969(昭和44)年
34 金子洋文 土崎港古川町雄物2 同人誌「種蒔く人」を刊行し、初期プロレタリア文学の担い手として小説、戯曲、評論などを著し、劇作、演出にも当たった。 1894(明治27)年
  〜1985(昭和60)年
35 鎌田孫左衛門 太平八田字上八田 太平地区の灌漑用水を完成させ、これにより目長崎、八田、柳田、広面にかけての広大な荒地が開田された。 1793(寛政5)年
  〜1868(明治元)年
36 堀井梁歩 仁井田村猿田川 農民新生運動を提唱して農民の救済啓蒙に取り組むとともに、ルバイヤットの研究に功績を残した。 1887(明治20)年
  〜1938(昭和13)年
37 初岡敬治 古川町 尊王攘夷論を展開し、維新後秋田藩公議人として活躍したが、藩閥政治を批判して政府転覆の疑いで処刑された。 1829(文政12)年
  〜1871(明治4)年
38 安藤和風 七軒町 秋田魁新報社の近代化を進め、俳人、郷土研究の分野でも大きな足跡を残し、自由の群像にその名が刻まれた。 1866(慶応2)年
  〜1936(昭和11)年
39 栗原源蔵 埼玉県入間郡鶴瀬村 鉄道建設で名声を高め、私財を投じて遊園地を完成、路面電車会社の再建や中学校の建設など都市づくりに足跡を残した。 1872(明治5)年
  〜1955(昭和30)年
40 佐々木隆 楢山九郎兵衛殿町 劇団文化座を結成し、「荷車の人」「鈍牛」などの代表作を演出し、演劇界に大きな足跡を残した。 1909(明治42)年
  〜1967(昭和42)年
41 早川かい 山梨県中巨摩郡西条村 公娼制度の廃止を実現するとともに、自立更生施設を創設するなど、婦人運動の先駆者として活躍した。 1884(明治17)年
  〜1969(昭和44)年
42 滝田樗陰 手形新町下丁 中央公論の名編集者として多くの作家の発掘と育成をなし、大正デモクラシーの旗手となった。 1882(明治15)年
  〜1925(大正14)年
43 平元謹斎 手形谷地上丁 幕末秋田藩随一の漢学者と評され、藩校明徳館の文学(学長)となり、その学系からは優れた人材を輩出した。 1810(文化7)年
  〜1876(明治9)年
44 河村重治郎 楢山牛島橋通町 『学生英和辞典』等の編さんで高い評価を受け、戦後出された『新クラウン英和辞典』は高校学習英和の名著と呼ばれる。 1887(明治20)年
  〜1974(昭和49)年
45 石川理紀之助 秋田郡小泉村 種苗交換会の創立、農村経済の確立、九州の農村救済などを実施し、適産調を完成させるなど、近代農業に大きく貢献した。 1845(弘化2)年
  〜1915(大正4)年
46 御法川直三郎 楢山医王院前町 多くの工夫発明を重ね、なかでも多条繰糸機の発明により蚕糸界に多大な恩恵を与えた。 1856(安政3)年
  〜1930(昭和5)年
47 木内トモ 湯沢市根小屋町 士魂商才の心を実践して秋田を代表する百貨店を築くとともに、匿名で学資を援助して多くの人材を送り出した。 1889(明治20)年
  〜1968(昭和43)年
48 浅野梅若 大正寺神ケ村(現、雄和大正寺) 多くの弟子を育成して「民謡王国秋田」の名声を確立し、秋田民謡の普及振興に貢献した。 1911(明治44)年
  〜2006(平成18)年
49 小牧近江 土崎港永覚町 雑誌に反戦・平等を掲げるとともに金子洋文らと「種蒔く人」を創刊し、初期プロレタリア文化運動に大きな役割を果たした。 1894(明治27)年
  〜1978(昭和53)年
50 深井史郎 新屋下表町 管弦楽曲や映画音楽を作曲し、戦後、日本映画音楽協会会長に就任した。 1907(明治40)年
  〜1959(昭和34)年

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