2000年
9月8日号



ポスト
市章
新聞
ペン
もどる
進む

二〇〇〇年八月 山王内外案内
市長●石川錬治郎

●全良寺の供養清掃。若き官軍兵士にしばし合掌
●市民のもてなしが絶賛された国連軍縮会議
●野球の関根潤三氏が秋田の米をべた褒め

◆所属するライオンズクラブのボランティア活動で早朝、「全良寺」境内の供養清掃。全良寺は戊辰戦争で秋田藩救済に来た官軍の佐賀藩・大村藩(長崎)・佐土原藩(宮崎)などの兵士の墓がある所として知られる。氏名の下には「行年二十一歳」などと記され、二十〜三十代が多い。九州から千数百も離れた秋田の山野で倒れた若者達は、最後に何を思ったことだろうか。明治の近代化がこのような若者達の行動のうえに成し遂げられたことを思い、しばし粛然として合掌。
◆観客席を三段の雛壇方式にした竿燈まつりは、雨にたたられることもなく昨年を上回る観光客を集めて盛会裡に終える。
 今年も外国からのお客も多く、アイルランド大使は予定を変更して二晩も見に来られる。また、ハワイの文化交流団からは竿燈を招待したいとの申し入れ。韓国の興亜海運(秋田〜釜山定期便運行)の一行も。竿燈まつりも年々国際化の傾向。
◆昨年から準備を進めてきた「国連軍縮秋田会議」が四日間の日程を充実した内容で終える。会議の模様はテレビなどで全国に流される。出席した全国紙などの論説・解説委員も多く、社説などでもとりあげられた。特に二日目の中学生中心の意見発表会と質疑が注目された。一般の市民県民も連日二百人以上が傍聴。同時通訳レシーバーを耳にあてて聴く。
 二十二か国の国々の参加者からお世辞抜きで、「秋田市民のもてなし(ホスピタリティ)は素晴らしかった」と賛辞をいただく。軍縮という国際政治上の難題が身近に感じられた四日間。秋田出身の明石前国連事務局次長、現職の阿部ウィーン国際機関代表部大使も故郷で大活躍。
◆旧知の前広島市長・平岡敬氏も軍縮会議に出席。一夜旧交を温める。平岡さんは名著「希望のヒロシマ」(岩波新書)をはじめ数々の平和問題の著者としても知られた人。
◆飯島中学三年の五十嵐充君が柔道で中学総体全国優勝の報告で来室。この種目での優勝は秋田県内の中学生では初めてとのこと。一七六・八九の堂々たる風格。将来、国体、オリンピック選手を目ざすとの抱負。文武両道で頑張るよう激励。
◆今月の収穫。「野球ができてありがとう」(関根潤三野球放談)−小学館文庫。関根潤三氏といえば東京六大学野球で法政大学の大黒柱として活躍。その後プロ(近鉄)でもエース。巨人でもプレー。
 その関根氏が敗戦後、学生時代に秋田に遠征試合に来た時の様子をこの本の中で次のように語っている。
 「それにしても、遠征中に秋田で食べたお米の味は未だに忘れられません。米どころだから『米は旨い』とは聞いていましたが、一口食べて『こんなに旨いものか!』と思いました。おかずなどなくても、ごはんだけで十分。三杯はペロッと平らげました。あれから五〇年以上経ちましたが、どんなに旨いと評判の店に行っても、あれ以上のごはんには出会ったことがありません」。
 戦後の食糧難時代のこととはいえ、こんなに秋田の米を褒めている文章に出会ったのは始めて。

 

Copyright (C) 2000秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.