2001年8月24日号

あきた不思議発見伝5

怪異譚「稲生物怪録」
平田篤胤が残したコワイ話


大老婆の顔の怪(「妖怪 いま甦る」〜稲生武太夫妖怪絵巻の研究〜 三次市教育委員会編より)
「稲生物怪録」関連の書籍は、中央図書館明徳館でも貸し出しています

秋田が生んだ偉大な先賢・平田篤胤。江戸時代を代表する国学者である篤胤は、妖怪や幽霊話などの怪異譚(怪談)の分野でも多くの優れた著書を残しています。
 篤胤が紹介した怪異譚の中で、特に有名なのが「稲生物怪録」です。寛延二年(一七四九)に備後三次藩(現広島県)の藩士であった稲生平太郎が、隣人の権八と肝だめしとして、「百物語」(百本のろうそくを灯して怪談話をしながら一本ずつ消していき、全てのろうそくが消えた時に本当の妖怪が現れる)をします。それから数か月後、平太郎の家に連日、入れ替わり立ち替わり様々な妖怪が現れます。
 笑い声を上げ、髪の毛を足のように逆立ちして歩きまわる女の生首、寝ている平太郎の顔をなめまわす天井いっぱいにはりついた巨大な老婆の顔、拍子木を打つ三つ目小僧。さらには行灯が突然燃え上がるは、ほうきが勝手に動き出して掃除を始めるはで、連日連夜、これでもかと不思議な現象が平太郎を襲います。しかし平太郎は、少しも驚かず、怯えることもなく平然と怪異現象に向き合うこと三十日。ついに妖怪たちは平太郎に降参し去っていきます。
 「稲生物怪録」は、もともと、平太郎と同じ三次藩士の柏正甫が天明三年(一七八三)に、平太郎の体験談を聞き取りして書いた本であり、篤胤は、それまで秘蔵とされていた正甫の本(柏本)に校正を加えて、新たに平田本と呼ばれる「稲生物怪録」をまとめました。
 平田本は、江戸期怪異譚の最高傑作の一つと言われています。非常に優れた内容で、制作には多くの弟子を参加させ膨大な労力を注いでおり、篤胤の強い情熱と大きなこだわりが感じられます。

篤胤が惹かれた平太郎の「心の強さ」

 なぜ、篤胤は「稲生物怪録」に強い関心を持ったのでしょうか。一般に怪談は、恐怖・不気味さ、そして四谷怪談に代表されるような恨み、悲しさが話の軸として構成されています。しかし「稲生物怪録」を読み感じるのは、次々と現れる妖怪・怪奇現象の恐怖よりも、主人公・稲生平太郎の何事にも動じない「心の強さ」が強烈な印象を与えるストーリーになっているということです。
 篤胤の生涯も自身の学問に対する様々な妨害・弾圧を受け、試練の連続でした。そのような状況にあって、志を曲げることなく学問を大成させた篤胤は、誰よりも意志の強さ、心の強さを持ち、その強さを大切にした人であったと思います。
 このように考えると「心の強さ」の大切さが描かれている「稲生物怪録」に篤胤が惹かれたこともうなずけます。篤胤にとって「稲生物怪録」は、様々な困難に直面した時、自身を奮い立たせる応援歌となるものだったのではないでしょうか。
 国史跡の墓がある手形大沢に眠る平田篤胤。「稲生物怪録」を読むと、その足跡の偉大さ故に見落とされがちな篤胤の人物像の一端に触れることができるような気がします。 

平田篤胤肖像画(彌高神社蔵)
8月24日は篤胤が生まれた日。手形大沢にある国史跡の篤胤の墓では墓前祭が行われます。



Copyright (C) 2000秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.
webmaster@city.akita.akita.jp