2004年6月11日号

くぼた旧町名物語・まちの生い立ち

(2)市の立つまち〜「通町」「馬口労町」編
久保田のまちの玄関・城下一のにぎわいのまち

「足栗毛」(県立博物館寄託)
…大町一丁目から通町遠景。
通りに面した建物は2階建てに統一され、
整然とした景観を保っています

交通の要所通町・馬口労町

 町人が暮らしていた「外町」は、土崎湊から久保田城へ通じる通町の通りと、新屋、牛島方面から城下に通じる馬口労町通りとの間にありました。
 当時、羽州街道を旅した人たちは、土崎湊から通町に入り、大町を通って馬口労町に抜けるルートを通りました。そのため、久保田城下の出入口にあたる通町と馬口労町は、交通の要所としてたくさんの人が行き交いました。

市が立つ外町のメインストリート

 通町の町割りは、大町と並んで古く、慶長(一五九六〜一六一四)の中頃に成立しました。当初、「上通町」「中通町」「下通町」の三町がありましたが、下通町はのちに中通町に含まれたようです。
 通町は、寛永六年(一六二九)、大町とともに建物を二階建てにするよう秋田藩から命じられ、通り沿いはきれいに二階建ての屋敷が並びました。その整然とした街並みは「足栗毛」(上の写真)にも描かれています。お城への客人や多くの旅人が通るこの道は、いわば〃秋田藩の顔〃。他藩の人の目にふれても恥ずかしくないよう景観を整えたのでしょう。
 通町は、特定商品の家督(独占販売権)はありませんでしたが、城下と近郊の農村を結ぶ道であったため、毎日、朝市が開かれていました。市には近郊の農村や土崎湊から野菜、薪、日用品などさまざまな商品が集まり、たいていのものはここで買うことができました。また、近郊の農・漁民にとっては、諸産物を金銭に換える貴重な場でもありました。
 文久四年(一八六四)には、上通町、中通町、これに続く大工町の三町が朝市の家督を認められ、名実ともに市のまちとなりました。

人も物も動かす運輸の拠点

 通町の反対側、外町の南に位置する馬口労町は、寛永六年(一六二九)に寺内の前城から移された町です。外町に移る前に馬口労町の人たちが住んでいた場所の近くには、今も移住を表す石碑(左上の写真)が残っています。
 馬口労町には、寛文十二年(一六七二)に馬宿が設置されました。藩の伝馬役を務める大町・茶町が公用の運搬に使う馬や人夫を提供する際、賃銭を支払って馬口労町の馬を使用したほか、街道の通行人にも人馬を提供し、交通のターミナルのような役割を果たしました。
 そして、馬口労町では毎年一〜三回、馬市が開催されました。セリ場は、現在の旭南小学校北側のあたり。馬の売買やあっせんをする馬喰と呼ばれる人々が他藩からもたくさん集まり、数百頭の馬がいたという記録も見られます。馬口労町の町名は、これに由来することは言うまでもありません。
 また、旭川にかかる刈穂橋の一帯は船着き場として、雄物川を通って雄和や仙北地方からも人や物がたくさん集まりました。運輸の中心となったこの町では旅籠が繁盛し、三十年ほど前までは数件の旅館がその名残をとどめていたそうです。
 馬市とともに馬口労町を象徴するのが、今も毎年八月十二日に開かれている「草市」です。お盆の飾り物や花、野菜などを買い求める人がつめかけ、昔のにぎわいを垣間見ることができます。草市の始まりははっきりわかっていませんが、夏の風物詩として今も脈々と受け継がれています。
 市のにぎわいとともに繁栄した通町と馬口労町。エネルギーに満ちあふれたこの町が城下の人や物を動かしました。

馬口労町通りの草市…毎年8月12日に近郊の農家がお盆に使う草花や野菜などを売ります。スーパーマーケットがない時代は、お盆の準備はここで済ませました。
昭和七年に造られた馬口労町への移住を示す石碑。数年前まで人目につかない場所にあった石碑を、馬口労町町内のみなさんが、平成十四年、寺内後城の道路沿いに建て直しました。

城下町御休み処
外町の総鎮守「やばせの山王さん」

 八橋にある日吉八幡神社。江戸時代、町人たちはここを外町の総鎮守として、親しみをこめて「やばせの山王さん」と呼びました。境内には、かつて外町の商人たちが寄進した建造物があちらこちらに見られます。
 日吉八幡神社の祭礼は、春と秋の年2回。昔は、八橋までの道が今のように整備されていませんでしたので、外町の氏子たちは簡単にお参りできませんでした。そこで、秋の祭礼では、みこしや練り山などが外町を練り歩き、氏子たちは自宅の前で商売繁盛などを祈願しました。
 また、昭和初期には、秋祭りの際、通りに建てた櫓(下の写真)で多彩な出し物が行われ、通りは豪華な飾り人形や山車でにぎわいました。全県から人が集り、臨時列車が出るほどだったとか…。
 外町の誕生から400年近く経つ今も、粋な“町人”たちが神事や祭典を受け継いでいます。


茶町に建てられた櫓(大正14年)




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