良き友こそ人生最大の財産であるということを聞きます。
身近な友人の訃報に接する年代に入り、あらためて古き良き友がいかに大切な存在であるかに気がつくようになりました。
昨年末に還暦祝いということで中学の同期会を開催したところ、県外在住の同期生も多い中で、予想を上回る高い出席率となり、思い出話が尽きない夜を過ごしました。
私の年代は団塊の世代、中学は一学級五十人強、一学年九クラス、四百五十人というマンモス校でした。ちなみに現在は、一学年三クラス、百二十人程度と、少子化極まるという状態でいささか寂しい限りです。
今でも中学時代の同期のごくごく親しい十数人のグループで、月一回近況を語り合いながらの「飲み会」を開き、積み立て制で年に一回のささやかな一泊旅行会を催しています。 |
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三十年以上も続いている会で、会の名前は、誰が付けたか、なんと「白百合会」といいます。ホテルの予約もこの名前で取りますので、着いた際にはフロントから、およそ白百合とはほど遠いむさ苦しい親父集団を目にし、怪訝な顔をされます。
そこで、してやったりと一同大笑いというのが最近の常です。
それぞれ職も立場も違う友人同士で、お互い遠慮会釈なしに好きなことを言い合う飲み会ほど楽しいものはありません。市長とはいっても、友人仲間では「ただの人」、「おめぇ太って、生意気そな顔なったど」「悪り政治家いるども、おめぇ悪りごとせばだめだぞ」という具合です。
市長職を続けていると、いろいろな人から、それこそさまざまなことを言われ、時々「ムッ」とすることもありますが、親しい友からの忠告めいた言葉は抵抗なく心に入っていきます。真に友を思う心は神仏の忠告だと思って、何かと言い返すことも間々ありますが、素直に聞くように心がけています。
しかし、このたびの同期会にあたり消息を調べたところ、ちょうど一割の人が亡くなっていました。我が白百合会でも、当初のメンバーから三人が鬼籍に入りました。
三人ともかけがえのない素晴らしい友でした。月一回の飲み会には時々、残された奥さん方にも参加してもらい、立派に成長された子どもさんの話を聞くこともあります。 |
人情が薄まり乾いた時代、先行き不透明な不安な時代といわれる昨今、何でも率直に語り合える良き友を持つことは、数少ない幸せづくりの要件のひとつのような気がします。 |
これからも続く友情大切に(新成人のつどいで)
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