2008年8月15日号

アルヴェでヒロシマ原爆展

平和の願い未来へつなぐ


月15日は終戦の日です。
戦争の傷跡は60年以上たった今も消えていません。
世界から悲しい戦争や核兵器がなくなるよう、平和の願いを未来へつなげていきましょう。

平和の大切さを知ってほしい

 1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。放射能による急性障害で亡くなったかたなどを含め、この年の12月末までに、約14万人が死亡したと言われています。

 戦争や核兵器の恐ろしさ、平和の大切さ、生命の尊さへの理解を深めてもらおうと、7月26日から8月1日まで、アルヴェでヒロシマ原爆展が開かれました。被爆した子どもが乗っていた三輪車、中身が黒こげになった弁当箱などの被爆資料、原爆被害を紹介した写真パネル、被爆者が悲惨な光景を描いた絵などが展示されました。また、被爆者の講話や被爆体験記の朗読なども行われました。

「ヒロシマ」を次の世代へ伝えたい

ヒロシマ原爆展で被爆体験を語った細川浩史さん
 私は17歳の時に被爆し、最愛の妹を亡くしました。当時妹は13歳。母は妹が亡くなってから笑顔を見せることもなく、生涯を終えました。
 あまりにもつらく、思い出したくない過去を語る気にはなれませんでした。しかし、ヒロシマの被爆者はいずれいなくなります。ヒロシマの現実が忘れられないよう、また同じことが繰り返されないよう、戦争や核兵器の悲惨さを伝えなければならないと思うようになりました。戦争を知らない子どもたちに実際のありさまを伝え、子どもたちが自分のこととして感じ、また次の世代へも伝えてくれることを願います。
 秋田の土崎でも終戦直前に恐ろしい空襲がありました。広島から遠く離れた秋田で私の体験をお話しできたことに意義を感じています。


土崎南小で平和をテーマに学習

 土崎南小学校では毎年「平和学習」として、土崎空襲で被害にあった光沼、雲祥院、日本石油秋田製油所を訪れるなど、平和の尊さを学ぶ取り組みを進めています。
 この日は6年生33人がヒロシマ原爆展を見学。展示資料を無言で見つめる児童や被爆体験の講話を真剣なまなざしで聞く児童の姿が見られ、戦争の恐ろしさをあらためて知る機会になりました。
 たくさんの犠牲者と傷跡を残した戦争。今、戦争を知らない子どもたちが、その恐ろしさ、むなしさを知り、平和の大切さを学ぼうとしています。
 私たちにできること―。それは世界から悲しい戦争や核兵器がなくなることを願い、平和の大切さを未来へ伝えていくことです。

いつまでも笑顔でいられるように

鎌田怜那さん(土崎南小6年)
 ヒロシマ原爆展では、ボロボロになった服や、爆弾の破片がささった人の写真などが展示されていました。原爆は、たくさんの人たちに大きな衝撃を与えたのだと感じました。戦争は人の心を傷つけるひどい行為だと思います。
 また、細川さんの被爆体験を聞いて、原爆で亡くなった妹さんはもちろん、残された細川さん自身もとてもつらい思いをされたことが分かりました。
 私たちが住んでいる土崎も空襲にあいました。原爆が落とされた広島、長崎。当時の日本はどこもつらく、苦しかったんだと思います。
 今、私が平和だと感じるのは友だちがいて全員で笑っていられる時です。この平和がずっと続くといいなと思います。


もう戦争を起こしてはいけない

中泉諒宣さん(土崎南小6年)
 「島病院(広島市内中心部にあった)の上空に原爆が落とされ、放射能で黒い雨が降った。その黒い雨を、大やけどを負い、のどがかわいた人たちが飲んでいた」という話がとても印象的でした。それから、細川さんの妹さんが亡くなる時、知らないおばさんに「手を握っていてほしい」と訴えたという話も心に残りました。
 土崎でも1万発以上もの爆弾が落とされ、犠牲者が出たと聞いたことがあります。戦争は人の命を奪い、悲しみと憎しみだけを残す意味のない行為だと思います。もう絶対に戦争を起こしてはいけないと思いました。
 今日、ヒロシマ原爆展で見たり、聞いたり、感じたりしたことを、家に帰ってお兄さんやお姉さんや家族の人に話したいと思います。



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