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2011年7月1日号

市長コラム

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秋田はウラ日本?

市長穂積 志

被災者を竿燈まつりに招待する
ため訪れた釜石市で(5月19日)
 東日本大震災から間もなく4か月になろうとしています。復旧・復興に向けた姿が着実に見えてきているのであれば、そろそろみなさんに伝えたい別のこともあるのですが、連日のテレビや新聞報道、あるいは先般、私自身も目の当たりにしてきた釜石市など被災地の姿を思うと、なかなか次の話題に移れないでいるのが正直なところです。今回は、この震災で感じていること、考えさせられたことなどを述べていきます。
 東北は一つ。がんばろう東北…。とにかく「東北」ということばを目にしない日はありませんし、私も強く意識しています。ふだんはそれほどでなくても、このたびの震災のような大きな災害時には、真っ先に思い浮かびます。このことは大雪や火事、台風などのとき、まずは隣近所や町内のことを気遣うことと似ているのかもしれませんね。
 そして、もうひとつ考えさせられるのが、南北に細長い日本列島には太平洋側と日本海側があるということです。確か小学校の社会の授業では、先生が秋田のような日本海側のことを“ウラ日本”という言い方をしていたように記憶しています。
 被災した太平洋側地域は、今はまだ大変な状況にありますが、これまでの歴史や日本人の底力、東北人の粘り強さ、そして日本が持つ資金力や技術力、これまで築いてきた国際的な信用力からすれば、間違いなく復旧・復興を遂げていけると思います。さらには、生産・物流・観光、そしてそれらの集積による新たな未来型都市の形成も夢ではありません。このことは数多くある中小の港の集約・整備計画や、三陸の国際観光地化構想などを見ても容易に想像できます。国全体の発展に向けた基本的な政策でもあります。
 歴史を振り返ってみれば、戦後、国を挙げての新幹線や高速道路などのインフラ整備を通じ、重化学工業の発展に邁進し、いわゆる「太平洋ベルト地帯」を形成したこととも重なる部分があるように思います。
 話は戻りますが、東北で未来型都市が形成されていくことは、もちろん秋田にとっても歓迎すべき事柄です。ただし、そのときは秋田も同じ軌跡をたどる必要があります。まさに「ウラ」「オモテ」なしの発展により、それこそ「東北はひとつ」ということを実現させたいものです。今はそのことこそが、このたびの震災で与えられた命題と責務ではないかと思っています。
 次回は、そのために私たちが考えていかなければいけないことについてお話しします。



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