※掲載している情報は「広報あきた」発行当時のものです。
2017年12月1日号

「秋田市の先人」の功績をシリーズで紹介

先人が残してくれた…(9)


石井 露月

(いしい ろげつ)
明治6年-昭和3年
(1873-1928)
雄和女米木(めめき)生まれ




 本名は祐治。明治26年に文学で身を立てるため上京し、俳人・正岡子規に本格的に俳句を学びます。その後俳人として、高浜虚子、河東碧梧桐、佐藤紅緑とともに「子規門四天王」と称されるまでになり、俳誌「ホトトギス」の選者などを務めることとなります。
 しかし、病弱だったこともあり、やむなく療養のため故郷に戻ります。女米木に帰ってからは俳句の句作と並行しながら、医業のほか、村民の生活向上や夜学会を通して青年教育などに尽力するなど、地域の発展に多大な功績を残しています。
 現在でも、女米木の生家が現存するほか、彼の句碑が、雄和のみならず、県内・全国にも点在しています。

文書法制課ホームページに「秋田市の先人」を掲載しています。
http://www.city.akita.akita.jp/city/gn/dc/hs/senjin/senjin.htm

石井露月資料室


(雄和図書館内)tel(886)2853
開館時間/10:00〜16:30(休館日は月曜と月末)
 露月直筆の書や短冊、手紙などのほか、愛用の帽子、俳誌「俳星」など、多くのかたから寄贈された品々を中心に展示しています。観覧無料。俳人として名を高めた露月の足跡を、ぜひご覧ください。

「秋田市の先人」の功績をシリーズで紹介(不定期)


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