※掲載している情報は「広報あきた」発行当時のものです。
2018年6月1日号

市長コラム

戊辰(ぼしん)150年
 〜葉隠墓苑(はがくれぼえん)

市長 穂積 志(もとむ)

5本の大若が、遠く佐賀の夜空を焦がしました。写真は武雄市役所新庁舎前で(5月12日)

 5月18日・19日の記録的な大雨により、農地や家屋の浸水被害などに遭われたみなさまに対しまして心よりお見舞いを申し上げます。市では引き続き、関係機関と連携しながら、一日も早い復旧と市民生活の安定確保に全力で取り組んでまいります。
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 さて、今年は明治維新、そして戊辰戦争から150年ということもあり、大河ドラマでは西郷隆盛が主人公の「西郷どん」が放映されているほか、さまざまな企画やイベントが各地で行われています。
 150年前、ここ秋田でも戦がありました。私の住んでいる町内には、このことを物語る「葉隠墓苑」があります。昭和61年、区画整理事業に伴う墓地の移転作業の中で、「秋田戊辰の役」で戦死したと思われる佐賀藩士3人のお墓が見つかったのです。戊辰戦争で倒幕側についた秋田藩の援軍として九州から参戦し、無念にも異郷の地、秋田に骨を埋めることになったということです。紙面の都合で詳しくご紹介できないのが残念ですが、その後、佐賀・秋田双方の関係者の多大な尽力により、遺骨の一部は佐賀県武雄市に住むご遺族に手渡され、今は故郷の菩提寺に眠っています。
 このような経緯から、武雄と秋田は訪問団の派遣や慰霊祭の開催などで交流を深めてきました。そんな折、5月中旬、武雄市役所新庁舎完成のお祝いと慰霊の意味を込めて、秋田市竿燈会や地元の関係者のみなさんとともに武雄を訪れました。国の重要文化財にも指定されている「武雄温泉楼門」前をはじめ、新庁舎周辺などで竿燈の演技を披露し、人口5万人の都市に沿道を埋め尽くした観衆は8万人と発表され、大変なにぎわいでした。ふれあい竿燈などの体験コーナーや秋田の酒の振る舞い、物産の販売なども好評で、今後の市民同士による心の交流に加え、経済的な面での交流も大いに期待が持てそうです。
 竿燈が武雄で初めて披露されたのは平成5年。実はその時も夜空に揺れる提灯の灯りを眺めていました。故 髙田景次元市長をはじめとした武雄市訪問団が結成され、その一員として参加したのがもう25年前のことになります。同じ武雄で、今回は市長として竿燈を披露できました。
“ドッコイショ、ドッコイショ”のかけ声を聴きながら、遠く九州佐賀と東北秋田、そして150年の時空を経て、揺れる竿燈のともしびが、私には戦火に倒れた兵士の鎮魂と慰霊、その後の交流の証のように映りました。蛇足ながら、私の母は佐賀出身ということもあり、これも何かの縁、不思議な巡り合わせと感じています。

小高い住宅街にひっそりとたたずむ葉隠墓苑

◆市長の動向などは、こちらのホームページでをお伝えしています。
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