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かっぱの絵
その7
高頭(たかど)山のむじな

 雄物川のほとりのあるところに、高頭(たかど)山と呼ぶ小高い山があったド。
 その山に連なる一帯は、かなりの高台で、東側の麓には水をたたえた沼があったド。沼のまわりはこんもりとした樹々に囲まれ、水の色も青黒くよどんでたド。めったに人の影など写すことのない水面は、沼を渡る風と降り込む雨のほかにはさざ波も立たぬほど不気味
に静まり返って、水鳥などもあまり近づかなかったド。何やら知らぬ主が住んでいるらしいとの噂がたったり、風の間に間に水面をただよう浮き島のある沼であったド。
 ところが、沼のはるか離れた台地に、新しくそのあたり一帯を治めることになった佐竹の殿様の分家館が建つことになったド。
 今も昔も人の住むためには、何よりも水がなければならず、家来たちはいろいろと頭をひねって水元を探しまわったド。そして、高頭山の大沼が、高いところにあったので、そこから水を引くことに決めたド。
 大工や人足たちを大勢集めて、木で樋をつくり、谷を越すには橋を掛けて工夫をこらし、月日を重ねて延々と長い土手の上に水樋を連ねて、ようやく水道が出来たド。
 沼で見る水とは違い、味もよく澄んだ水であり、湧き水のために水も豊かであったド。
 館(やかた)のある台地には家来や商人、職人などの家がたちどころに、百戸余りにふえてにぎやかになったド。
 ところがある年のこと、雪解け水が沢々にさわやかな音をたてているのに、水が突然止ってしまったド。  水守りの家来たちは、急いで見回りに出かけたところ、沼に近いところの樋が大きな石で水を止められていたんたド。
 いつもは人の近づかないところで、しかも大きな石はどうしても人間わざではない気がしたド。どうにか人手をかけて石を取り除いて水を通し、誰の仕業か調べてもさっぱりわからなかったド。
 水守りの家来たちがホッとしたのもつかの間、また、数日後に同じようにして水が止められたド。それがあまりに度々なので、夜回りの番人をおいたド。
 何者の仕業かと頭を痛めていた番人たちは、ある月夜の晩に沼のほとりの松の大木の上から
〜トロスコトン・トロスコトン・トロスコトントン・スットントン〜
と太鼓の音を聞いたんだド。
 いくら鉄砲を打っても、松の上の太鼓の音は止まなかったので、阿仁のまたぎを頼んできたド。そのまたぎは、松の根元の大きなこぶに鉄砲を打ったところ、太鼓の音は止まり、その後は水元にいたずらするようなことはなくなったド。
 「年をとったむじなの仕業だべ」といううわさをし合ったけれどもその死穀は、ついに発見できなかったド。
 とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 若仙翁覚書には、高頭山〔糠塚森)の沼と記されています。ここは、三嶽山安養寺のあった所で、その麓に沼があり、大正時代の初め頃までは、かなり気味の悪い沼として何か主がおったと言い伝えられています。明治時代までは、旱天の年に雨乞いをしました。
 沼の中に金属物を投ずれば、二、三日中には、ご利益があったことが書かれています。
 町史の中には、「佐竹義理と椿台」と題して「明治元年(1868年)三月佐竹義尭(よしたか)の分家佐竹義理をして、椿台に城郭を築かせ、翌年ここに移した。義理は、佐竹壱岐守と称し、江戸に居城して二万石を領しまた常丸家とも呼ばれていた家柄で、雄勝郡岩崎知藩事となって椿台より岩崎村(現在の湯沢市)に移ることで、椿台の時代は終る」とあります。
 この物語に似たものに、町連青の発行した「雄和の昔っこ」の中に「夫婦杉の大むじな」がありますが、口伝えによるもの、創作ものもあり、まぎらわしいものが多い。
 むじなは、狸よりも性悪るだとか、子供心にも聞かされたこともあって、民話を通して幼い頃のことが想い出されます。

 

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