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かっぱの絵
その9
白華城と鞍止(くらどめ)大明神

 雄物川のほとりの小高い丘に、白華城という城があったド。
 この城は、戦国時代に安倍貞任の後衛として安東義仁が築いたもので、そのあたりの村々一帯を治めていたド。数代を経た備中守季林のころは、勢力が益々盛んになり、その周辺を手中に治めて、石田坂、棒川、筋脇(白根館)の3カ所にも砦を築いて、その領地の守りを固めていたド。
 ところが、そのころ雄物川対岸の豊島城に豊島玄蕃という武勇のきこえの高い城主がおり、しきりにまわりの土地を攻め滅ぼしていたド。そして、ちょっとの隙でもあれば白華城も攻め減ぼそうとして、たえずその動静をうかがっていたド。
 永禄年中のある年の冬。暗がりの朝、豊島玄蕃の一隊は、豊島城をひそかに出発し、雄物川の岸辺につくと静かに川を渡り、河原から村里までのびている大草原にかくれていたド。そして、日の暮れるのを待ちながら、白華城の様子をうかがっていたド。
 その日の夕方、白華城では、城主・季林の奥方に可愛い姫君が誕生したというので、家来たちがみんな集まって祝宴をしていたド。
 暮れやすい冬の日、暗い空からは白い綿雪がちらちらと鷲鳥の羽毛のように落ちはじめできたド。
 城主の季林をはじめ、家来たちは『めでたい、めでたい』と杯を重ねては歌い、笑い、すっかり酒に酔っていたド。
 こんな時に、恐しい敵が目前に現われようとは夢にも思わず、祝宴を続けていると、『わっ!』という声と共に雪なだれのように豊島勢が攻めよせてきたド。
 不意をつかれた城方は、槍や刀をとるどころか、防戦することもなしに、城主をはじめ家来は散々になってしまったド。その多くは敵に斬り殺され、城は間もなく落ちてしまったド。
 この時の村人たちの驚きはたとえようのないもので、「それ、敵が追ってくるぞ!」と、煮えたった鍋の中ヘ、家にある野菜や米、味そ、塩など投げ込んで食べ物をつくり、それを手に持って四方八方に散り、山の中などに逃げ込んだド。
 季林の奥方は、生れたばかりの赤子をだいて、山づたいに逃げたが、ついにカつきて降りしきる雪の中に倒れ、あわれな最期をとげたド。
 この戦いで、家来の一人が日ごろから子どものように育てた愛馬が戦死し、死体を埋めたところ、その場所に馬の四ツ足のような、四ツ又の幹をもった椿が生えたド。
 冬になると、雪にこぼれた馬の血潮のように真赤な椿の花が咲いて、亡くなった城主の奥方や姫君、多数の家来たちのあわれな最期をしのばせたド。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 平尾鳥の落城悲話につづく物語です。
 白華城は、現在の秋田市豊岩の前郷部落にあった城で、初代の安東義仁は、豊巻、石田坂の一帯を治め、その後、太郎義賢、岩見佐季定などの数代を経てから季林の代になっています。
 白華城の落城は、永禄10年(1567年)ころと伝えられています。
 城あとは、前郷部落の東、山峡の小道を約300メートルあまり登りつめると、大手、溺手、空堀、家中家敷、厩の跡などが残っていて、まわり一面は、雑木や杉などの林におおわれ、昔の城のいかめしさは十分にしのばれます。
 戦死した愛馬の鞍は、今でも鞍止大明神という祠にまつられて、あがめられています。
 また、豊鳥玄蕃の一隊が、タ暮れを待って、昼いっぱい身をかくして寝ていた河原は、今でも『昼寝河原』と呼ばれています。
 四ツ又の椿の木は、昭和20年ころに枯れで、現在は小さな椿の木が生えています。
 備中守季林は、こうして豊島玄蕃のため散々その城を踏み荒されましたが、本家にあたる秋田城之介実季のカを借り、豊島氏を減ぼして、旧領土をとり返し、白華城は慶長のころまで栄えました。

 

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