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かっぱの絵
その12
空を飛んだ明神さま

 いつの頃のことか、それはそれはずうっと昔のことであったド。
 今も大正寺の碇田に、石行というところがあるが、そこに地主明神と呼ばれる土地の人たちに崇められていた祠があったんだド。
 ところがある年の春のこと、氏子の神太郎という信心深い人の夢枕に立って「我は汝らが祀っている地主明神である。汝が住んでいる奥に、我が住むに適した場所がある。我はそこに移って、開墾をする人々を守り、助け、育てたい。我がそこに移る時には、必ずめでたい印を現して、その疑念を晴らす」と、おごそかに告げられたんだド。
 神太郎には、あまりにも不思議なことであったが、時間が過ぎるにしたがって、有難いことと感激したド。
 次の日神太郎は、夢のお告げを村中の人たちにくわしく話をしたんだド。
 人々の中には、半信半疑の人たちもおったけれども、神様のお告げに従ってその場所に新しくお宮をつくることにしたんだド。お宮が出来てもめでたい印が現われなかったなら、もったいないが、お宮をとりこわしてしまう覚悟でみんな新しいお宮をつくることに精を出したんだド。
 月日がたちお宮が落成したド。吉日をえらんで還宮の式に当たったところ、にわかに雲や霧が四方から湧き起こり、一陣の風が舞い起こるとともに雨が降り出したんだド。
 雨はたちまち激しさを増し、天地をどよもす大嵐となり、木々は身をよじり、その響きは荒波の磯を打つように思われたド。
 その時に、石行の方から光る物が飛来し、新しいお宮の辺りに落ちるように見えたんだド。
 人々は、不思議に思い、そのあたりに集まったド。
 石行のあった明神様の御形石が社殿の庭前に、美しい光を放ってあったんだド。
 村人たちは、その不思議さにびっくりしてたド。前に疑いを持っていた人たちも、ご神霊の尊さをさとり、いそいで新宮の奥に御形石を安置申しあげたド。
 そしたら、波音も自然に鎮まり、風は止み、雨も晴れ上ってめでたく還宮の式をとりおこなうことができたんだド。
 それからは、地主明神の大祭には、ご神徳をしのんで参詣する人々も多くなったド。しかも、ご還宮の時のように、祭祠をおこなう日には、社地内ばかりが雨降り出して、社地の外は、晴天となる不思議なことが続くんだド。
 石行と呼ばれるいわれは、明神様の御形石が御座していたころに、その祠の周囲に珍しい形をした、大小さまざまな岩石が所かまわず累々と存在していたものが、御形石が新宮に飛び去ってから後は、どちらへ飛んでいったやら、影も形もなくなってしまったんだド。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 地主明神とは、現在の新波明神(新波神社)のことです。
 神社縁起には「諸人尊崇イタス二神威日々二新タナレバ新波の新ノ字ヲノヅト其意符合セルナリ」とあります。
 創立はいわゆる碇田の石行の地(字は梵天野)で、人皇42代の文武天皇の大宝年間と伝えられますから、今より1315年前にあたります。この奇瑞を現わして遷宮された年代は、人皇45代・聖武天皇の御代で神亀2年とありますから、1290年前のことになります。
 石行の地には、今も土中に小石が多くあります。近くにある「梵天野」という地名の起源は、明神がこの地に鎮座なされたころから毎年とりおこなわれる祭祠の都度、梵天など多くの捧げ物があり、それら奉納された品々を取仕舞いするものを梵天主と名づけたとのことで、その梵天主の住んだ場所を「梵天野」と称したと伝えられています。
 新波神社の祭神は、大国主神、天照皇太神、応神天皇、建御名方神、八坂刀売神、少昆毘古那神、大山咋神、白山媛命、菅原道真、ほか二柱の神々となっています。
 地主明神とは、大国主神の別称です。

 

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