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かっぱの絵
その13
村を救ったお不動さん

 月日の流れは早いもの−。地主明神を石行の地より奉安したのがずうっと昔のこととなったある年のことなんだド。
 それぞれ家主の代がかわり、お宮も屋根や囲廊が苔むして、だんだん古くなったド。世の乱れのためか、信心がうすれたものか、修理もしないで年を重ね、もったいないことながらご神体にもくもの巣がかかっていたド。塵や埃に埋まっても、当時の氏子たちは、誰一人としてお宮を再建しようとする者がなかったド。
 それはそれは見苦しく、あさましい有様であったんだド。
 折しもそのころ、このあたり一体の村々に疫病が発生して、人から人へとうつったド。初めの間は、医者の薬で治そうとしたが、全くその効目がなくだんだん死者が多く出るばかりだったド。
 そして人ばかりでなく、家畜にも疫病がうつって、あちこちに牛馬の死体が散乱すろようになったド。人々は、加持や祀祷とあらゆる手だてをしたが、その甲斐もなかったド。疫神を祭ったが、疫病は益々勢いが強まるばかりで、人々はなす術を知らず、その恐しさに手をとり合って泣くばかりであったド。
 そのころ、新波に多郎右衛門と云う者が住んでおったんだド。
 主人はもとより、家族も皆正直な人柄であったド。とりわけ息子は、大の親孝行もので、朝夕に神仏をひたすらに信心する感心な若者であったんだド。
 しかしながら、多郎右衛門の父親も疫病にかかり、心をこめての看病も甲斐なく、だんだんに重くなり、悲しいことにただ、死ぬのを待つばかりになったんだド。
 そうしたある夜のこと、息子は不思議な夢を見たんだド。その夢というのは、自分が村に近い川の渦巻の上に現れた大きな竜の形の雲に乗った本尊様が入水したのを拾い奉り家に安置した夢だったド。
 息子は翌朝、さそわれるように川端に行ったら、渦巻の中から夢にでてきたご尊像が本当にあらわれたド。
 驚くことにご尊像は、水中から抱き上げたら、人肌のようなぬくもりがあったド。そして宮の奥座敷に安置して家内の人々が信仰したんだド。
 そのことがあってから、病み細っていた父親の様子は、見る見る快方に向かい、もとの元気な身体に戻ったことから、ご尊像のご霊験と、家族一同が有難さに涙を流し喜びあったんだド。
 ご尊像を水中より抱き上げ奉った時、左右の手はもとより、着ていた着物にも芳しき香りが芬々として、しばらく消えなかったド。
 このご尊像を、地主明神と併せて再建した新しきお宮にお祀り申しあげたところ、疫病もたちまちおさまり、大勢の村人が救われたんだド。
とつぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 新波神社の神社縁起には「去程に永禄元年戊午二月折フシ旅僧行栄法印来テ邑里ノ人々ヲ招キテ教化シテイワク、抑此ノ霊像ノ照覧如何トモ恐レ多ケレバ、俗家二安置シ奉ラムコト然ルベカラズ」とあります。ご尊像の揚げられた場所は、新波川の荒波の波打つところであり、新波明神と一体不二の世尊ですから、多郎右工門の家から新波神社に合祀することが最もご威徳を盛んにして、村人たちから病魔を追放、安穏な生活を与えてくれるものと教え諭されて、新波神社の堂舎を再興されたことをくわしく途べています。
 永禄元年は、1558年で今より450年ほど前であり、戦国時代の後期にあたっています。
 永禄年代には平尾鳥城、津波岐館などが隣国の豊島玄蕃の攻略により落城している時代ですから、戦乱に明け幕れして、民百姓は苦しい日々を送っていたことがうかがわれます。
 行栄法印は、新波神社宮司・福原家の祖先であり、新波神社を別称「新波の不動さん」と呼ぶのもこのことからです。
 また、雄物川の新波部落地先の下流には、不動尊像を拾い揚げた波のうず巻くところがあり、今も不動巻と呼ばれています。

 

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