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かっぱの絵
その16
千枝姫さまと館の舟降(おろ)し

 城主の昌吉は、安東氏より由利方面の土豪の攻撃を押さえるという重要な役目を受けるほどに、武勇にたけた武人であり、とりわけ、強い弓をひくことにかけては、安東氏の中では上に出るものがなかったんだど。
 まだ、若いころのある年の秋のことだったど。仙北方面から久保田に向かう嫁入り舟が、ちょうど館の下を通りかかったところ、どうしたことか川の波がにわかにせり上がり、渦を巻くやらで、舟は木の葉のようにもてあそばれて危うく難破しそうになったんだど。
 この騒ぎに昌吉は「伝え聞きし、館の主(大蛇)の仕業ならん」と、急いで大弓をかまえて、波のうねりに矢を放ったんだど。
 かぶら矢は唸を引いて水中に射込まれるや、やがて波もおさまり船頭たちの死にもの狂いの舟さばきで、ようやく沈没をまぬがれたんだど。
 月日の経つのは早いもので、昌吉は奥方を迎えたが、しばらく子宝に恵まれなかったことから、城の守護神に祈願を重ね、その甲斐あってか、月満ちて生まれたのが女の子。千枝姫と名づげて城主はもとより、城の中の人々は掌中の玉と大事にいつくしみ育てたんだど。 千枝姫は年とともに奥方の美しい血を引いて、可憐さはこの上もなく、成長していったんだど。
 ところが、姫が13歳の春のことだったど。何が原因であったことやら、眼の患いにかかり、抱えの医師の手当も、城主夫妻の祈りもむなしく、だんだん病はつのるばかりで、大明りしか見えなくなったんだど。
 千枝姫を案ずる奥方は、お百度参りや水ごりをとって、何んとか病が快方に向かうように神々にお析りを重ねたんだど。
 そうしたある夜のこと、城の守護神が夢枕に立たれたんだど。守護神は「千枝姫の眼の病は、そもそも十数年前に嫁入り舟を襲った館の主(大蛇)が、城主の放ったかぶら矢の唸りに神通力を失い、しかも、眼に次の矢をうけて傷を負ったことから、舟を襲うことはあきらめてはいるが、それをうらみに思い、城主の命よりも尊い姫に仇しているための眼病である。
 その眼病を治すには、城よりはるか北西の、山のふところに泉があり、その泉は霊験あらたかなる霊泉である故、必ずや姫の眼病は治るであらう」とのお告げがあったど。
 そのお告げどおりにしたところ、眼病はうす紙をはがすように快方に向かい、やがて全快なされたんだど。

百合の露 館主が姫の泪かや

 戦乱の世の定め、あわれ白根氏ほ減んだが、災危の恐ろしさの故か、それとも城主や姫をあわれんでか、それ以来花嫁は必ず陸を通って館の下だけは、一たん舟からおり立って通るようになったど。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 河辺郡史によると、清水館(白根館)は、永禄年間(1558年〜1569年)の敗戦で落城したと伝えられています。永正年間(1504年〜1520年)に筋脇に支館(白根館)を築き、白根七郎昌吉を配置したことになっていますので、この物語の期間は白根館の存在した1510年ころから1569年の間と推定されます。
 「昔水沢郷清水ノ館主白根七郎昌吉ノ愛姫千枝姫眼疾テ患ヒ、此泉二浴シテ平癒スト云フ、
 初、湯ノ女ト称セシモ該泉ノ眼病二効アルヲ以テ後、湯ノ目ノ字ニ改称スト云フ」
これは、湯野目の斎藤神官の先々代である斎藤蔀氏の記録より抄録したものです。
 また、花嫁の舟降りについては、白根館が落城した時、城主の奥方が城と運命を共にされたとの一説があります。
 その奥方の亡霊のたたりで、館ノ下の雄物川を舟で通った花嫁は不幸になるという言い伝えもあり、昭和の初期ころまでは、この間だけは舟を降りて歩いたり馬車や馬そりに乗って通ったとされています。
※この話は、『白根館伝説あれこれ』を参考にしています

 

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