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かっぱの絵
その17
伊勢詣りの松

 ある年の秋の彼岸が過ぎたころのことだったど。雄物川のほとりにある水沢の里に、土崎港下四ツ屋村という所から5人の者が、酒や肴などの手士産を持って「松右エ門の家はどごだしべ」と訪ねてきたんだど。
 けれども、水沢にはその名前を知っている者はいなかったんだど。そこで一行は、この里の肝煎である善左エ門の家に立寄って話したんだど。
 「私どもは、去年伊勢詣りに出かけたんだども、初旅でわからないことばっかり多くて困っていたんだし。ところが幸いなことに、同じ秋田の人でやはり伊勢詣りに行く白髪の老人と道づれになったんだし。その老人は品がよく、しかも骨組のがっしりした実に頼り甲斐のある人で、あれこれと私どもに世話してくれたんだし。おかげ様で、道中を楽しみながら伊勢詣りをすることができたし。恩を受けたしるしにと、5人で心ばかりのお礼の品を贈ろうとしたんですが、その老人は受けとってくれなかったんだし。それでは名前だけでもとたずねると、『私は久保田領河辺の郡水沢という小さな村に住む松右エ門という者です。秋の彼岸までには必ず帰るので、土崎からあまり遠くないですからお志があったら是非一度、水沢においでください』と別れたんだし」と語り「その後一年、なつかしさが忘れられず、老人のお言葉に甘えて、今日お訪ねしたんだし」とその訳を話したんだど。
 その話を聞いた善左エ門をはじめ水沢の人々は、なんとも不思議なこの話に、まったく夢見ているような気持であったんだど。
 そこで、よくよく考えてみると松右エ門という名前から想い合わせて、村のはずれの一族の総墓のある老松、村の人々は「善左エ門の松」と呼んでいる数百年もする松が、青々と枝を張って村の繁栄を表すようにしていたのが、なぜか急に枯れはじめたことのあったことを思い出したんだど。
 その時村の人々は、何か変事がある前兆ではないかと驚きあやしんだが、人のカではどうすることもできず、そのまま不安な月日が流れたんだど。
 ところが、秋の彼岸のころになり、一時赤く枯れた松が急に生き返り、元のように青々とした枝を総墓の上に垂れはじめ、みんな喜び合ったど。
 このことが、松右エ門と言う人が伊勢詣りして帰るといった秋の彼岸とちょうど生き返ったことと合うので、何百年もたった霊木の精が松右エ門という人間の姿をかりて、伊勢詣りに行ったに違いないと、村人と5人の人々が老松を参拝したど。そして、老松の下で、盛んなお祝いを催し、松の精を祀ったんだど。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語の主人公は、雄和町の文化財に指定されている「伊勢詣りの松」と呼ばれている老松です。
 根元のお墓は、大小数百の川石などの自然石を数段にたたみあげ、その上の古い石塔の表面には『総墓』と、裏面には「文政八乙酉中夏」と刻まれています。
 古文書には、文政5年の出来事とあり、参宮同行者と村人たちが樹下に宴を張り、随喜して老木の霊異に感応された年の2年後、お盆に合わせて建立したものと思われます。
 伊藤家は浄土真宗であり、この総墓の下に一族一門が納骨することになっています。新しく石塔を建てるにあたって、ただ『総墓』としたアイデアは、信仰からくる発想だけでなく、物語が何らかの影響を与えたことが考えられます。
 さすがの霊木も近年になって、樹勢の衰えを見せ、県林務課などの指導で病虫害の防除など、保護の手を加えています。
 木村与之助氏の「伝説の四季」にも、神の申し子を育てた銀杏の木や、夜ごとに泣く欅の精の話などあります。民話の中には、樹木の精霊が人助けをしたり、切り倒された柳が血を流して非情な人々に仇をうった話もあります。
 土崎港下四ツ屋村が、現在のどこにあたるのかわかりません。

 

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