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かっぱの絵
その20
平尾鳥の怖清水(こわしみず)

 いつの頃のことか、とにかく昔のことであったんだド。  雄物川の川淵にある村々のうち種沢村と平尾鳥村は、その境がはっきりしないところがあって、永い年月(としつき)にわたって争いが繰り返されていたんだド。

 川淵の岩山を切り開いたその中腹には、種沢村と平尾鳥村を結ぶ細道が通っていたド。道の下は、切り立った崖、上も岩崖になっていて、岩山のくぼみからは一年中泉が湧き出ていたド。草木も頭を垂れる真夏にこの山道を越える人は、その泉でのどを潤して、生き返った気持ちで通ったんだド。  しかし、冬になると清水が凍るので、滑って川に落ちないよう足元に気をつけて、ハラハラしながら通る難所であったんだド。  境の争いがだんだん難しくなったので、両方の村役たちは時の代官に頼んで争いごとを解決してもらうことを話し合ったド。

 願いを受け入れた代官は、両部落から村一番の年寄りを出して、代官立ち会いの上、境界線を決めることにしたんだド。  そこで両方の村では、それぞれ一番の年寄りを探したんだド。種沢村では伝吉、平尾鳥村では藤兵衛という者が一番の年寄りであったんだド。種沢の伝吉が平尾鳥の藤兵衛より三つばかり年上であったド。

 種沢村の村役をはじめ村人たちは「こちらの方の年寄りが年上だから、この争いは間違いなく種沢村の勝ちだ」と考え、立ち会い当日の話方を伝吉ぢさまに教えたんだド。  伝吉ぢさまは、年も年であったし、長生きする人の常で耳が遠いため、種沢村の有利になるための口上を教えるのに苦労したド。  両方の村はお盆前に決めたいと考えて、代官に日取りを尋ねたところ「8月7日の墓払いの後にしたら…」と、その日に決めたんだド。

 8月7日までは晴天続きで、この日も天気に恵まれたド。両方の村からは、村役を始め主だった人々が、それぞれ村一番の年寄りである伝吉と藤兵衛ぢさまを守るようにして現地に出かけたんだド。  ところが、代官が都合で現場に来るのが遅くなったので、カンカン照りの日であったため、年寄りたちも大分弱ったんだド。

 代官の前で伝吉は、暑さと緊張のために、前に教えられた口上を誤って「この地をば種沢分とは、誰が言った。平尾鳥分に相違なし」と話してしまったので、種沢村の人々は大いに怒って、伝吉を押し倒し崖から川に落とそうとしたんだド。

 あわてた伝吉は、崖から転げ落ちてうずくまり、岩から流れ出る清水を飲んで「あ・怖かった」と言ったことから、その泉に「怖清水」という名がついたんだド。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待

 俗称「怖清水」と言われる場所は、平尾鳥と種沢字の境で、県道淀川・河辺線が岩山の崩落や道路の欠壊などが相次いだため、再三にわたり改修され、昔の面影が乏しくなっています。

 「怖清水」の地点から見る高尾山は、山容が最も美しく整っており、町の象徴にふさわしい姿が望まれる場所でもあります。付近には外ケ沢という沢があります。語源は「山の突出」とか「外側」とされており、雄物川に突出した山沢に由来した地名です。また、俗称のカスベ沢は、境界紛争のゴタゴタした生カスベに例えた異名であろうと言われています。

 町史には載っていませんが、旧川添村の大字椿川部落と旧豊島村の大字畑谷部落が、それぞれ椿川村、畑谷村として独立していた時代に椿台(現在のゴルフ練習場付近)付近の境界をめぐって紛争が永年続いて、ようやく解決したことを語る古文書が残っています。

 洋の東西を問わず、古い時代から公私の区別なく境界についての争いは数多くあり、国土の領有権を争う場合は、大戦争になった例が少なくありませんし、昔のように法制が明らかでない時代は、無理のないこととも考えられます。

 

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