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かっぱの絵
その22
安養寺のニャンコ

 雄物川のほとりのある山ふところに、お寺があったんだド。
 そのお寺は、由緒ある大きなお寺でしたが、たび重なる戦(いくさ)や飢饉(ききん)のために村人の信仰心もうすれて、お布施をあげる人もいなくなったド。そして、だんだんくらしに困るようになったんだド。
 いつのことからか、お寺に猫が住みついたド。お寺さん(住職)は、「ニャンコ」と名づけて可愛がっていたんだド。
 村の人々は、貧乏なため葬式のお布施も少なく、法事もあまりしなかったので、お寺さんは毎日ひまだったド。ニャンコを相手に、「ニャンコや、貧乏寺で飯(まんま)も食(く)わせられないで困ったもんだナー」、「何かよいことがあって楽にくらせる方法がないもんかナー」といいながら日を送っていたんだド。お寺さんは決まってニャンコの頭をなでながら、またニャンコもお寺さんの話がわかるかのようなしぐさをしていたんだド。
 そうするうちに、村一番の親方衆のおばあさんが亡くなったんだド。檀家の中でも一番の物持ちで、葬式や法事でお布施をたんまりもらえるものと思っていたんだド。
 ところが「あんな貧乏寺では、衣(ころも)もないし、ありがたいお経ももらえねべ」、「おばあさんは財産を築いた人だし、本山のお寺さんからお経をもらうべ」と、村のお寺さんを頼むことをやめたんだド。
 葬式の日になったド。親方衆の家でお経をもらい、お棺をかついで丘の上の墓地へ埋葬しようとしたド。ところがどうしたことか、棺桶が宙に浮いて墓穴に落ち付かなかったんだド。本山から来た坊さまが夢中になってお経を読んでもまったくききめがなく、ほとほと困ったド。
 親方衆の本家(ほんけ)は、村のお寺さんを頼まないことは、仏さまを信仰する人の道にはずれるとして、反対していたんだド。「お棺が落ち付かないのは、おばあさんが迷っているからだ。村のお寺さんにお経をあげてもらうしかない」と、本家の言うことを聞いて親方衆も仕方なく村のお寺さんへ行き、何回も何回も頭を下げて頼んだんだド。
 お寺さんも根負けして、やっと重い腰をあげたド。うやうやしく引導(いんどう)をわたしたら、お棺は静かに墓穴に納まったんだド。親方衆も恥の上ぬりもしないで済んだので、お布施をどっさりお寺さんに包んだド。
 お寺さんは、「お経のおかげもあるべえども、ニャンコのおかげもあるべ」と、ニヤニヤ笑ってたんだド。
 それは、猫は魔性のもので「人が死ねば、猫を寄せつけるな!猫を倉に入れておけ!」との言い伝えの通り、猫を死人のそばにおくと、死んだ人が歩くとのたとえがあるんだド。どうもこの一件、ニャンコが墓のそばで性悪(しょうわる)したことを知ってたからだべ…。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語は「雄和の昔っこ」の中にある山内フヂさんが口述の「寺と猫」にあるもので、安養寺部落にあったと伝えられる真言宗の安養寺に因んだもののようです。
 町誌の編集者・相澤金次郎氏の安養寺についての研究の中には、安養寺という寺は、河辺郡は旧川添、雄勝郡の旧西成瀬村、仙北の大曲市、南秋田郡の旧馬場目村、秋田市の旧下新城村、平鹿郡の旧沼館町にそれぞれあり、それぞれの寺の来歴を述べておられます。
 陸奥国に胆沢城が築造され、鎮守府も置かれ、出羽国雄勝城との連絡上、駅路(東成瀬村の手倉越)が開かれたころ、真言宗では、雄勝、山本、秋田の三地方に安養寺を建立、地方開発と布教並びに陸奥、出羽の往還時に滞留等の便益にあてたとの伝説を裏づけておられます。
 本町の安養寺は、三獄山大権現の別当も真言宗安養寺の住職が兼ねていたもののようで、その創建や廃寺の年代も事由も詳かでなく天正年代(1573〜91年)に所在が伝承されております。
 現在の三獄神社は、明治維新の神仏分離令によって改められたもので、滝の沢に創建された三獄山大権現が天正年代不浄を避け、12月の晦日の夕刻に飛来したものとの言い伝えがあります。

 

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