秋田市雄和市民サービスセンター
秋田市トップ雄和市民サービスセンタ−民話トップ
 
秋田市トップ 「秋田市トップ」へ移動
ビジネス 「ビジネス」へ移動
市政・まちづくり 「市政・まちづくり」へ移動
観光 「観光」へ移動
組織案内 「組織案内」へ移動
かっぱの絵
その24
河童(かっぱ)と山童(やまわらし)

 昔、雄物川のほとりのある所に、河童がたくさん住んでいたんだド。そして、水遊びに来る子どもにいたずらをしては川に引き込み、おぼれ死ぬ子供も多くいたんだド。
 河童たちが雄物川にいられるのは、夏の暑い時で、しかもソバの茎が赤くなるころだけ。ソバの白い花が咲く寒いころになると、暖かい場所に引越ししなければならないので、いつの間にか姿が見られないようになるんだド。
 ところがある年のこと、どうしたことかいたずら好きの河童がソバの花が咲いてからも一匹残っていたんだド。十月の末ころになって大きなあられが降る寒い日が続くようになったんだド。
 河童の頭の皿っこに、カチン、カチンとあたったからたまらない。皿っこがあられに割られては大変と、あわてて苗代に生えている蓮の葉を笠がわりにしたんだド。蓮の葉も秋になったので、形は大きいがもろくなって、あられに破られてしまいそうだったんだド。それがまともに強くあたったものだから、とうとう大事にしていた皿っこに傷ついてしまい、血が吹いてしまったんだド。
 そこで河童は、あまり皿っこの傷が痛むので、「冷たい川に入ったら気分もよくなるべ」と思って、ドブンと川に飛び込んだド。
 ところが気分がよくなるどころか、傷ついた河童の皿っこに川の水がしみて、痛みはいっそうひどくなるばかりだったド。しばらくの間は川に入らずに、陸(おか)の上ばかりにいたので、痛みはうすらいだド。しかし、河童は水の中の生きものであり、頭の皿っこがすっかり乾いてしまって、だんだん元気がなくなり、ある日の夕方かわいそうに干(ひ)からびて死んでしまったんだド。
 はさ小屋の影に小さくなって死んでいた河童を見た村人は、気味の悪い河童のなきがらの処理に困ってしまい、お寺の和尚さんに相談したド。
 村一番のもの知りである和尚さんは、「生きている間はいたずら好きの河童で、だいぶ村人たちに迷惑をかけたが、死んでしまえば人間も河童もみんな仏様のお弟子になるもの。にくいと思って粗末にしてはならない」と村人たちに説教をされて、ねんごろに供養をしてやったんだド。
 このことがあつてから、何年か後のことだド。村の人たちは、高尾山への登り道が誰かが手入れするのか人知れず崩れた所が直っていたり、橋のないところに橋ができたり、狐に化かされた人が助けられたり、時には山菜とりで迷った人が家近くまで案内してくれた見知らめ童(わらし)の話が出たんだド。
 和尚さんは、「先に死んだ河童が山童(やまわらし)に生まれかわって思返ししているんだべ」と語って聞かせたド。
とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語は、「雄和の昔っこ」の中にある女米木の石井作郎氏の口述をもとにしたものです。
 さしずめ、河童の住みかを女米木の川崎か左手子の深みのあたりとして考えますと、お寺は玉竜寺となりそうです。
 語り伝えられた民話に歴史的な背景をつけるなどこじつけも甚しいのですが、ちなみに玉竜寺の開基は、戊辰の役に類焼したことにより、不明の点が多い。明暦年間(1656年)、今から約350年前に国龍寺として開基されたもののようで、その後になって領主の命により玉竜寺になったものと推定されると町史に述べられております。
 山童については、山姥に育てられた足柄山の金時が連想され、熊や猿を相手に相撲をとり、大鉞をかついで熊に乗った姿は、五月人形として子どもたちの人気者ですが、源頼光の四天王として大江山の酒呑童子を退治した勇武の士として歴史に遺っております。
 ともあれ、河童の生まれかわりの山童が、和尚さんや、村人たちの手でやさしく供養されたことに対して、恩を忘れずに人助けをされているとして、村人たちに因果応報を手近かな物事を例に教え諭されていることは、いわゆる「人を見て仏法を説く」の理のとおり、仲々の和尚さんではありませんか。

 

前へ
次へ


秋田市トップ雄和市民サービスセンター | 民話トップ |



Copyright (C) 2005 秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.
ro-scyw@city.akita.akita.jp