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かっぱの絵
その25
馬鹿欲の川流れ

 いつの頃のことか、あまり昔のことではなかったド。
 その年の夏は雨が少なくて、しかも、来る日も来る日もかんかん照りの日が続いたんだド。田や畑の作物も生気を失って、小川の魚なども死んで浮き上るようになったんだド。
 そのような天気続きであったので、雄物川の水もだんだん少なくなり、あちこちに浅瀬ができたド。川底の岩肌も水の上に現れるようになったんだド。
 雄物川を渡るためには、渡し舟が唯一の手段であった頃なので、川岸の村里には渡し場があり、渡し守が休む守小屋があったんだド。
 ある日の午後、守小屋に一人の男が声をかけたんだド。
 暑い日盛りのこと、渡し守のじいさまも昼寝をしていたけれど、人声と共に戸口に立った人影に気づいて起き上ったド。
 その男は「向いに渡してもらいたい。渡し賃は何んぼ(いくら)だ」と尋ねた上で、「半分にまけろ」と渡し賃を値切ったんだド。
 渡し守は、寝ざめの気分の悪さと、男の欲ばった強引なかけ合いに腹を立て「水枯れの川だ、渡し賃が惜しかったら歩いて渡れ」と言って、また横になったド。
 男は陽よけの萱笠をかぶり、両手に荷物を持っていたが、着物の尻をまくり上げ、そのまま川の中に入って行ったんだド。
 さて話は変わって、渡し場よりだいぶ下流でゴリを採っていたじいさまがあったド。
 何やら川の中ほどを流れて来るので、見ると萱笠らしい。「なんだ古笠か」と思ったが、気になってよく見ると、笠をかぶった男が流れていたんだド。
 びっくりして人を呼び集め、なんとか岸に引き上げていろいろ手を尽くしたが、どうしても息を吹き返さなかったんだド。
 村役たちは、「川流れの男はどこの者だ。どうして水死してしまったのか。どうして水死してしまったのか」と、川上の方に人をやっていろいろ尋ねたんだド。
 そうしたら、渡し銭を値切った男が、渡し守を怒らせ、頭を下げて頼み込むことがいやなのか、先を急いだためか、歩いて川を渡り、おそらく岩肌に足を滑らせ深みにはまって溺れ死んだものだろうと言うことになったんだド。
 「運が悪いこと、萱笠をかぶっていた上、渡し賃をも惜しむ欲心が物を手から離さなかったので、泳ぐことも呼ぶこともできなかったべナー。胴巻に銭(ぜに)っこうんとあったのに…」
 「あまり欲ばって飲んだ水も出さなかったから、腹の皮と欲の皮が突張って死んだんだべー、馬鹿欲な男だナー」とあざ笑うものもおったんだド。
 とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語は、古老の伝えによるもので、あまり欲張ったり強情を張ると生命(いのち)まで無くしてしまうことをいましめたもののようです。場所は黒瀬の渡し場で、男は浜の方から来たようです。
 雄物川の改修は、明治20年ころから県議会を中心にその実行運動がおこりました。大正6年に至り、国会において秋田市および周辺平野部の水害を除去するため、雄物川河口の改良、同築堤工事、岩見川の築堤の大工事が当初工事費720万円で、大正6年から10カ年継続事業として採択されました。工事を進める間に欧州大戦の余波を受け、大正12年に工事費の増額と工期の廷長が行われました。さらに、関東大震災や国の財政緊縮などにより、再三工事期間の繰り延べが行われて、昭和13年に至って新川の開通ができるようになったのです。
 着工以来22カ年の歳月と、1,029万7千円の経費を投じてようやく完成しております。
 新川ができるまでは、冬期間には川面も氷に閉ざされて、寒中は氷の上を渡ったり、渡し舟による交通はなかなか大変なものでした。
 橋が完成するまでは、悲喜交々(こもごも)のエピソードが水泡のように生まれては消え去ったことと思われます。

 

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