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かっぱの絵
その26
米子(よねこ)と夜叉鬼(やしゃき)

 今からずっと、ずっと昔のことであったド。
 そのころの高尾山は、老木が生い繁って、昼間でも暗くてうす気味悪かったド。鳥や獣(けだもの)も多く、樵(きこり)道が細々と通っているだけで、草や茨(いばら)に埋もれるような有様であったんだド。
 山の中腹に白石善五郎と言う者が、妻と娘の三人で狩りをして、ひっそりと暮らしていたんだド。山の雪も消えて春らしくなったある日の明け方、トントンと戸口をたたく者がおったんだド。娘の米子(よねこ)は、「誰だろうか」と出てみたところ、傷を負っている若い男の旅人が立っていたド。困っているようすの男は「2、3日ほど泊めてもらいたいのですが…」と頼むので、善五郎夫婦も「それは気の毒なこと」と泊めることにしたんだド。
 旅人の傷は、なかなか治らず、2、3日が早や1カ月にもなってしまったんだド。娘の米子は19歳の年頃。しかも山家育ちとは思えぬ美しい娘盛りであったド。旅人も素姓は知れないものの、たくましい若者であったド。二人は善五郎夫婦の気づかぬ間に、身も心も許し合う間柄になっていたド。
 そうこうするうちに月日が経ったある日突然、若者が行方知れずになったんだド。米子は驚き悲しんで山中を探しまわり、ついに山賊の砦に近づき、つかまってしまったんだド。
 やがて米子は山賊の頭で、夜叉鬼と言う男の前に引き出されたド。そこで米子はびっくり仰天してしまったド。無理のないこと。夜叉鬼は、米子の家に宿って傷を治した旅の若者だったんだド。
 ともかく米子は、夜叉鬼と共に住むこととなったド。間もなく米子は男の子を産み、「大瀧丸」と名づけ、親子仲良く山の砦で暮したんだド。
 夜叉鬼は、今の大森町の保呂羽山に勢カを張っていた山賊で、戦に敗れて命からがら逃げて行く途中、米子の家にかくまってもらったんだド。
 歳月の流れは早く、大瀧丸は父に似て力は強く、母に似て面立の優しい立派な若者に成長したド。その頃、都より坂上田村麻呂を総大将にして、秋田の地に攻め入り、ついに高尾山をも囲み攻め立てたんだド。
 都の大軍の勢に押されて、大瀧丸のカも及ばず、衰れにも米子は矢を受けて戦死してしまったド。夜又鬼と大瀧丸は、鬼の生まれであるため空を飛ぶ神通力で高尾山から新屋方面に逃れたが、将軍の追撃でいったんは太平山の山中にかくれ、その後も点々と所を変えたド。
 今の将軍野、追分付近を通って男鹿に逃れたものの、ついに寒風山麓で戦って敗れてしまったド。

とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語は、高尾山権現縁起の中にありますが、上記の民話は長文をまとめたものです。坂上田村麿の東征は、延暦年代(782〜805年)で、今から1,200年ほど前のことです。
 夜叉鬼については、羽陰温故誌の平鹿郡の部に、八沢木村(大森町)は往古「夜叉鬼」と言うと記されています。保呂羽山神社関係記録にもまったく書かれておらず、夜叉鬼とは八沢木村から来た男を称したものと推測されます。
 山中で生活するための糧を得ることで里人との争いが多く、手下を貯え勢威を振るった一族と思われます。
 高尾山の頂上には、高尾権現が祀られています。田村麿東征の時からと伝えられ、代々秋田の国守の尊崇を受け、請原吉彦、秋田城介、平重成、秋田城主藤原保則、源頼義、国司次郎兼杖、陸奥守平泰盛などによって造営された珍しい古社です。佐竹氏の時代においても代々尊崇され、社殿の改築にあたっては、数度にわたり木材や金銀などを寄進され、別当の京極氏には四石五斗の社領を与えていたことが記録されています。
 縁起には、行方不明だった一人娘の米子が、賊の妻となって果ててしまつたことを悲しむ白石善五郎が、自らの命を絶つまでのことを細かに記しています。

 

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