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かっぱの絵
その27
安養寺の化け物

 いつの頃のことか、雄物川のほとりの沢深い山里にお寺があったんだド。その寺は、どのようなわけがあるのやら住職(お坊さん)が永く住みついておらなかったド。死んだ人のとむらいや、先祖の供養のための法事もできなかったド。手を尽くして、せっかく落ちついてもらったお坊さんも、いつとはなしにいなくなってしまうんだド。お寺に化け物がいて、食い殺されてしまうのではないかとの噂が立ったこともあって、寺に住んでもらうお坊さんがなかなかあらわれなかったド。
 ある日のこと、旅のお坊さんが村役に「ここのお寺は住職がいなくて困っているとのこと。私でよければ」と言うので、喜んで住みついてもらうことにしたんだド。
 その日も暮れて、いろり火にあたっていたお坊さんの向かいに、大入道が煙の中からあらわれたんだド。大入道は、「よくこの寺に来てくれた。退屈しのぎに、しっぺ張りっこやろう」と言うので、お坊さんは、「これが噂の化け物だな、負けては殺されてしまう」と思い、小便に立つふりをして、流しに行ったド。棚から頭にちょうどの鍋をおろしてかぶり、その上に頭布(ずきん)をかぶり、衣の柚にすりこ木をかくして戻ってきたんだド。
 大入道が先にしっぺを張ったが、お坊さんの頭が固くて指を痛めてしまったド。
 今度はお坊さんの番。後にまわって、しっぺを張るふりをして、すりこ木でカまかせにぶんなぐったド。大入道はたまらず、そこら中ころげ廻っていたと思ったら、すーと消えたんだド。
 「これで化け物は退治したべ」と思っていたら、今度は美しい女の人がキラキラ光る玉を両手に捧げてあらわれたド。「立派なお坊さんには宝珠の玉をおさずけしたい」と言って、お坊さんの手にのせたら、玉が手から離れなくなり離そうとして手足を使えば使うぼど吸いついて、もがけばもがくほど身動きできなくなるんだド。
 「宝珠にだまされた馬鹿欲な妨主よ、息の根を止めてやる」と天井からおりて、白く光る縄で手足をしばり、ぐるぐる巻きにして天井に引き上げたんだド。
 「これは大変、殺される」とお坊さんは、ありがたいお経を一心に念じたところ、縄は切れ、恐ろしい顔に変わった女の人も消えたんだド。やがて夜も明け方になったので、お坊さんは鐘を鳴らして村の人々を集めたんだド。
 お坊さんは、昨夜の出来事を語ったところ、村人たちは「どうも天井があやしい」と槍や鎌などを手に、天井裏に上ったド。暗い天井裏の奥に光る玉が見え、それを槍で一斉に突いたところ、不気味な声がして光りが消えたんだド。
 村人は、灯りを照らしておそるおそる近づいたところ、なんと化け物の正体は、大きな蜘蛛だったんだド。その辺には、生き血を吸われて死んだお坊さんたちの死体がいくつも転っていたド。

とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待
 この物語は、「雄和の昔っこ」の中にある民話で山内フヂさん(山内五郎右エ門氏の母)の口述によるものです。「安養寺と云う寺」を読みやすくしたものです。
 安養寺については、すでに「安養寺のニャンコ」と題した民話を載せた際に説明していますが、町誌の地史と年表の安養寺の項には次のように述べられています。
◇安養寺(あんようじ)…三獄山大権現に奉仕の安養寺に由来する地名で、俗称杉沢を寺の跡地と伝え、かつて遺骨、古銭が発堀されたという。この付近を昔「相野地」と呼称し、アイヌ(原住民族の意か)の住居地によるものとも伝承され、ここにあった真言宗安養寺は天正年代(1,573〜91年)に所在が伝承されています。
 現在の秋田市豊岩字小山にあった養福院(熊井氏)の中央である二代目良円法印が別当となったのは元文二年(1,737年)で、熊井古文書によってもその頃は安養寺が存在したことは確実です。
 お寺と化け物をとり合せた民話は、至るところに数多く伝承されています。
 化け物の正体が、禽(とり)や獣であったり、虫や魚であったり、土や木に生える茸や木石に至るまで多彩なことは、森羅万象に霊が宿るとの発想によるものと思われます。

 

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