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かっぱの絵
その29
火傷(やけど)した観音さま

 今からおよそ百年ほど前の昔のことであったド。 雄物川のほとりに堂々と高くそびえる高尾山のふもと、女米木の里の猫沢というところの山項に観音様をおまつりしたお宮があったんだド。お堂は高尾神社の里宮の鳥居があるところから500メートルほどはなれた高い場所にあったド。そのあたり一帯は杉林で、昼でも暗くて淋しいところであったド。

 この観音様は、馬頭(ばとう)観音という馬の守り神で、年に一度の大例祭は、それはそれはにぎやかであったド。今と違ってそのころは、山の木運びや農作業、生活物資の運搬などほとんどが馬に頼ることが多く、大きい農家では何頭もの馬を飼っていたド。祭りの当日は、近郷近在の人々が馬を引き連れて参拝に集まるほど深い信心を受けていたんだド。

 ある年の秋の夜であったド。観音様のお堂を守る役目をもつ別当の大王寺(京極家)の当主が床に入って眠りについたところ、枕元で人の声がするんだド。「大王寺!、大王寺!わしは今焼けるところだ。熟くてかなわぬ。とにかく早く迎えに来てくれ」と、夢うつつの中ながらも神々しい声音に、大王寺はハッと目をさましたんだド。驚いてあたりを見回しても誰もおらず、夢とは知っていてもおろそかにできず、「きっと観音様が焼けて助けを求めている」と判断したんだド。

 急いで床を抜け出して身づくろいをし、大王寺の近くに住んでいる与助という者の戸口に向かったド。  「与助、与助大変だ!。今、観音堂が火に囲まれ、神様が助けを乞うておられる。これから急いで山に登るから、早く起きてくれ、早く起きてくれ!」と大声で板戸をたたきながら起したド。 急ぎ出てきた与助を連れて、たいまつで足元を照らしながら坂道を登ると、観音堂の付近が明るく見えたド。「やっばり正夢であったか」とさらに足を早めたド。

 参拝者が消し忘れたローソクの火が燃え移ったらしく、ご神体の側に火が拡っていたド。大王寺と与助は、急いでお堂に踏み込んで燃える火をものともせずにご神体を抱え出したド。 ご神体は等身大の木彫りの神像で、半身が燃えこげてしまっていたド。どうにか火を消し、与助が背負って山を下ったんだド。与助はこのあたりでは知られた力持ちで、自分の背丈ほどのご神体を重いとも言わず持てたことが、火難をさけられたんだド。

とっぴんぱらりのぷ!


かっぱの絵
民話への招待

 この物語は、女米木字高麓沢の加藤加助氏の口述によるものです。

 別称保食神社ともいうこの観音様は、猫沢部落の産土神でもあった神社です。例祭は毎年7月17日(前は9月17日)で、参詣する馬は神社のまわりを3回まわって神主のお祓いを受けて、無病息災を祈念してもらったとのことです。また、神社の境内に生えている萩やくずなどを少しずつ刈りとって家に持ち帰り、蔭干しにしておき、馬が病気をしたときの薬飼にしました。

 火傷した観音様のご神体は、しばらく大王寺に安置されましたが、その後、女米木猫沢の県道近くに高尾神社の遥拝殿が建てられ、他の神社のご神体と合祀されておりました。高尾神社の里宮ができてからは、そのお宮に移してお祀りされています。

 高尾神社の祭神は、大名持神、少名彦那神、八意思兼神、伊邪那岐神、伊邪那美神、応神天皇、天照大神、保食大神の八柱の神々となっています。

 その当時の大王寺の当主は、京極幸也氏の曽祖父にあたる民部と名のる方で、昭和6年に数え年83歳で死去なされています。また与助は、長谷部勇氏の先々代かにあたる方で、物語の年代は明治の始めとのことです。

 

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