都市計画課キッズページ


最終更新(さいしゅうこうしん) 2017.4.12


みなさんこんにちは。
これから「都市計画」と「景観(けいかん)」のお話しをします。
まず、その前に「都市」とはどういう意味なのか、そして、今の秋田市がどのようにして形づくられてきたのか、少し歴史のお話しをしたいと思います。

都市とは何か

  「都市」という言葉には、意味がはっきりあるわけではありません。秋田市そのものを都市ということもありますし、たくさん人がいる場所を都市ということもあります。
 これからお話しする「都市計画」の話では、山や川などの自然と農地、生活する場所のつながりが深く、一つにまとまった地域(ちいき)を「都市」という意味で使っていきます。

秋田市のまちづくりの歴史

 今、みなさんがくらす秋田市は、長い年月を経て、都市としての形がつくられてきました。都市計画の話をする前に、今の秋田市がどのように出来てきたのか、少し歴史の話をしたいと思います。
 秋田市が都市の形になり始めたのは、奈良時代に当時の政府が本州北部を治める役所(出羽柵(でわのさく)、後の秋田城(あきたじょう))を置いたことが始まりだと言われています。
 室町時代には、豪族(ごうぞく)(大きな勢力(せいりょく)財力(ざいりょく)を持っていた一族)であった安東氏(あんどうし)が、港のあった土崎地区(つちざきちく)(しろ)をつくり、地域(ちいき)を治めて繁栄(はんえい)しました。
 その後、江戸時代の初めに大名(だいみょう)(広い領地を治めていた武士)であった佐竹氏(さたけし)常陸(ひたち)(現在の茨城県)から秋田に国替(くにがえ)になり、現在の千秋公園に久保田城(くぼたじょう)という(しろ)とそのまわりに城下町(じょうかまち)をつくりました。
 秋田市は、そうしたまちづくりの歴史が元になっていると言われています。
 正式に秋田市と言われるようになったのは、明治時代で、当時は面積6.9km2、人口2万9千人の市としてスタートしました。
 その後、周辺の町や村と合併(がっぺい)し、現在は面積906km2、人口31万5千人の大きさになり、今では北日本や日本海沿岸(えんがん)を代表する大きな市に成長しました。


→「都市計画」のお話しを読む

→「景観」のお話しを読む


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