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1768(明和05)- 1854(安政01)
横手城代の戸村家第6代。名は義通、通称十太夫、字を子達という。後草園は画号、別号に東陵、龍橋などがある。天明元(1781)年9月、藩主佐竹義敦(曙山)に拝謁し、享和元(1801)年父の隠居により34歳で横手城代となる。詩歌、書画に通じ、書は沢田東江に学ぶ。画ははじめお抱え絵師の狩野秀東に学ぶが、父義敬の代に佐々木原善を江戸や長崎に遣わして南蘋派を学ばせており、帰郷した寛政期以降、その指導により南蘋派の花鳥画を多く描いた。文政11(1828)年に隠居した後は、ますます書画に力を注いだ。