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1748(寛延01)- 1822(文政05)
岩代国(現福島県)須賀川生まれ。本名永田善吉、氏名を略して田善と称し、号は亜欧堂、亜欧陳人、星山堂など。染物業を手伝うかたわら兄より狩野派を学び、のち、画僧月僊に入門。その後、白河藩主松平定信に画才を見いだされ、御用絵師谷文晁に師事。寛政10(1798)には定信の命で、江戸に出府し銅版画技法の習得に励んだ。司馬江漢をしのぐ技法を完成させ、正確な遠近法で、江戸の名所を題材とした作品を制作、油彩画にも取り組んだ。銅版『新訂万国全図』や医学書の挿絵など、実用面でも功績がある。