秋田市に生まれる。1904年横手中学校を中退し、同校英語教師チャンプリンとともに渡米。以後、19年間サンフランシスコ、ニューヨークなどで過ごし、詩、チェロ、絵画を学ぶ。23年に帰国し、秋田各地でチェロ演奏会を開いた後に上京するが、関東大震災のため京都に行き、音楽家として生計をたてる。この頃、須田国太郎との交友が始まり、須田の勧めで関西美術院に油彩画を出品。29年東京にもどり、紀伊国屋書店で個展を開き、油彩画と英詩を展示。43年病気のため演奏活動を断念、絵画に専念する。48年自由美術家協会会員となるが、63年脱会。以後無所属となり、東京、京都で個展を重ねる。79年「池田淑人展」(新宿/小田急グランドギャラリー)、80年「特別展 池田淑人展」(高岡市立美術館)開催。81年病没した翌月、「秋田が生んだ巨匠-池田淑人遺作展」(秋田魁新報社主催 秋田市文化会館)が開催された。油彩画のほかに、52年に和英両文の詩画集『流浪の歌』を刊行。