秋田県八竜町(現三種町)に生まれる。幼少時に聴力を失い、県立聾学校から1954年東京教育大学附属聾学校美術専攻科に転校。在学中の59年光風会展に初入選し、76年会友となるが78年に退会。60年日展に初入選以来、継続して出品。73年「選抜50人展」(東京/銀座松屋)、75年「俊鋭25人展」(東京/銀座松屋)出品など。78年秋田市に転居。同年から日洋展に出品、同展で80・81年には三越奨励賞を受賞し、82年に日洋会運営委員、日展会友となる。85年秋田市文化団体連盟賞特別賞受賞。87-89年インド、パキスタン、シルクロードを放浪。91年第2回「選抜現代作家自選展-萬鉄五郎へのオマージュ-金子義償展」(萬鉄五郎記念館)が開催され、同年秋田県芸術選奨受賞、93年日洋展で安田火災美術財団奨励賞受賞、95年委員賞を受賞、96年日展で特選受賞。また、95年「日本現代美術代表作家選抜展」(パリ)、2000年「日洋会選抜100人展」(東京セントラル美術館)に出品された。2004年日洋展損保ジャパン美術財団奨励賞受賞、日洋展審査員となる。秋田市在住。