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1757(宝暦7)- 1830(天保元)
産物方などとして佐竹義敦(曙山)、義和の二代に仕えた秋田藩士であり、秋田蘭画の作者の一人。初名は忠誘、次いで国綱、忠国といい、周助と称する。号に雲夢、金台散人、春秋庵など。忠国という名は、洋学に通じ家臣として良く仕えたとして、藩主義敦から賜った。直武と同様、安永2(1773)年に平賀源内から洋画法を直接教示されたとの説がある。直武画を範として描いたものも多く、濃彩細密な写実的表現を特色とする。