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1716(享保1)- 1799(寛政11)
もと阿波藩士。京都からやがて江戸に出て、宋紫石に学んだ。宝暦12年頃から小豆島で活動した画家。名は審、字は君井、宋庵斎暮川とも号した。平賀源内とも交流があり、源内の著書『物類品隲』の広告に挿絵を描いた画工として楠本雪渓(宋紫石)とともに、三木文柳の名が記されている。高松松平家伝来の博物図譜『衆鱗図』『衆芳画譜』等の作者とされている。