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1716(正徳06)- 1800(寛政12)
京都錦小路にある青物問屋の長男に生まれる。幼い頃より絵事を好み、狩野派をはじめ、中国絵画の模写や実物写生を通じて画技を磨き、《動植綵絵》に代表されるような濃密な色彩による花鳥画に独自の画風を拓いた。40歳で弟に家督を譲った後は画業に専念した。濃密な花鳥画だけでなく水墨画も多く手がけ、画箋紙に墨がにじむ性質を生かした表現技法を活用している。深草の石峰寺へ隠棲した晩年は窮乏していたものの制作への情熱は失われることなく、現在は近世京都画壇を代表する画家の一人である。