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横手の松原に生まれる。名は善蔵、別号は松峯山人、分水、楚宝、洛称原善など。生家は農家であったが、横手城代戸村義敬とその子義通(後草園の支援で安永末に江戸に出て、南蘋派の画家・松林山人(?-1792)に師事する。師の没後は長崎へ行き、熊斐の三男熊斐明につく。帰郷後、後草園に南蘋派の画法を伝えた。40歳の頃、再び上京する途中の鴻巣(埼玉)で亡くなったと伝えられる。作品には寛政年中(1789-1801)の年記をもつものが多い。