秋田不思議発見伝1

あきた不思議発見伝
秋田市の歴史に伝わる不思議な話、謎、謎、謎…
与次郎稲荷の伝説…

佐竹義宣に仕えた老狐

荒れ地や湿地が広がって住む人も少なかった窪田の神明山(現在の千秋公園)。常陸から秋田に国替えになり、この山に新しい城・久保田城を築いた佐竹義宣公の前に、一匹の大きな狐が現れました。
 狐は義宣公に、「私は、この神明山に住んでいた齢三百の狐の頭である。このたびの殿の築城により住む場所をなくし困っているので、殿のお力で住む場所を与えてほしい。もしもこの願いがかなえられるならば、必ず殿のお役にたちます」と願い出ました。
 狐をかわいそうに思った義宣公は、狐に城の茶園の近くの場所を与え、「茶園守の与次郎」と呼ぶことにしました。  
 与次郎狐は、約束どおり義宣公のため、飛脚として秋田〜江戸をわずか六日で往復し、大いに働きました。しかし、与次郎狐の活躍により仕事をなくした飛脚たちの恨みをかい、羽州街道の六田村(山形県東根市)で罠にかかり殺されてしまいました。
 与次郎狐の無念の死を哀れみ、義宣公が祠をつくりその霊を祭ったのが、現在の千秋公園本丸に移された与次郎稲荷神社です。

山形にもある与次郎稲荷神社

 狐が飛脚になることは、現実にはありえないことです。しかし、山形の殺された場所の近くにも、その霊を祭った「与次郎稲荷神社」があり、秋田藩が参勤交代の折にたびたび参拝したとも伝えられ、ここには何らかの歴史的事件が隠されている可能性があります。
 いずれにしても、義宣公の久保田城築城と城下町建設は、それまで人々が目にしたことのない巨大な土木工事でした。人々には、新しい城下町の建設への希望、活気、夢とともに、初めて見るあまりにも大規模な工事の中で、自分たちの知っている町、景観の激しい変貌への驚きやとまどいもあったことと思います。
 与次郎稲荷伝説には、そんなとまどいの中、「あの山に住んでいた動物たち、キツネやタヌキはどこに行ったのだろう」という人々の自然への素朴な優しさも含まれているのではないでしょうか。
 与次郎狐の伝説を生んだ久保田城築城。今日の秋田市の原型を築いた歴史的大事業から約四百年もの時が刻まれてきました。三十二万都市としての発展の歩みとともに…。


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