寺内字高野の聖霊短大裏にある空素沼。ここはその昔、狼沢(おいぬさわ)と呼ばれ、沢水が流れ、田や畑が広る場所でした。
この田畑を耕していた男がある日、沢の奥で大蛇を見つけました。男はその場を逃れましたが、大蛇がはきつけた毒が原因で三年後に亡くなります。その頃から、沢の源にあった小さな池がしだいに大きくなり、一夜にして満々と水をたたえる空素沼が生まれたといいます。その日の夜、ある村人の枕もとに白髪の老人が現れて、「私は沼の主である。狼沢の田畑の場所をしばらく借りることになった」と告げて姿を消したそうです。
この空素沼のなりたちに関する伝説には、他にも「日中、瞬く間に大きな沼ができた。それを見た人がいる」というような話もあります。これらの話は、まったく、荒唐無稽なものなのでしょうか? 同じ高清水の丘にある史跡秋田城跡の発掘調査の成果と栗田定之丞の功績から、この伝説を考えてみたいと思います。
秋田市教育委員会の発掘調査によって、古代秋田城の歴史解明が進んでいますが、同時に高清水の丘の土の堆積状況もわかってきています。その結果、場所によっては、風によって運ばれてきた砂が数メートルの厚さで降り積もっている状況が確認されています。空素沼は、高清水の丘を流れていた小さな川が、このような飛び砂によって、いつの頃か、せき止められてできた沼なのではないでしょうか? 別の古い資料には、「狼沢に砂山ができた」という記述があることもそれを裏づけています。
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