2001年6月22日号

あきた不思議発見伝


空素沼の伝説…
緑豊かで神秘的な静けさ

 寺内字高野の聖霊短大裏にある空素沼。ここはその昔、狼沢(おいぬさわ)と呼ばれ、沢水が流れ、田や畑が広る場所でした。
 この田畑を耕していた男がある日、沢の奥で大蛇を見つけました。男はその場を逃れましたが、大蛇がはきつけた毒が原因で三年後に亡くなります。その頃から、沢の源にあった小さな池がしだいに大きくなり、一夜にして満々と水をたたえる空素沼が生まれたといいます。その日の夜、ある村人の枕もとに白髪の老人が現れて、「私は沼の主である。狼沢の田畑の場所をしばらく借りることになった」と告げて姿を消したそうです。
 この空素沼のなりたちに関する伝説には、他にも「日中、瞬く間に大きな沼ができた。それを見た人がいる」というような話もあります。これらの話は、まったく、荒唐無稽なものなのでしょうか? 同じ高清水の丘にある史跡秋田城跡の発掘調査の成果と栗田定之丞の功績から、この伝説を考えてみたいと思います。
 秋田市教育委員会の発掘調査によって、古代秋田城の歴史解明が進んでいますが、同時に高清水の丘の土の堆積状況もわかってきています。その結果、場所によっては、風によって運ばれてきた砂が数メートルの厚さで降り積もっている状況が確認されています。空素沼は、高清水の丘を流れていた小さな川が、このような飛び砂によって、いつの頃か、せき止められてできた沼なのではないでしょうか? 別の古い資料には、「狼沢に砂山ができた」という記述があることもそれを裏づけています。

一夜でできた遠く江戸にも知られる

 それでは、川がせき止められて少しずつ大きくなったはずの沼に、どうして「一夜にしてできた」という伝説が生まれたのでしょうか?
 一つは、狼沢が「帰らずの沢」とも呼ばれ、人々があまり訪れない場所であったため、沼が大きくなっていった様子が人の目に触れなかったこと。また、植林に人生を捧げた栗田翁の功績により飛び砂の被害が少なくなり、「短期間の間に砂が飛んできて川がせきとめられる」という自然現象がイメージしずらくなっていたこと。そして何よりも空素沼が、厚い信仰を集めていた場所であったことが神秘的な伝説が生まれた理由ではないでしょうか。
 江戸時代、日照りの時には、空素沼の主に雨乞いし、雨を降らせたとも伝えられています。人々の空素沼への信仰の深さを物語るエピソードであり、その雨乞いの状況を記録した「法壇の図」が現在、天徳寺に所蔵され、市の文化財に指定されています。また江戸の有名な読本作家である滝沢馬琴の随筆にも紹介されていることから、空素沼は遠く江戸にも知られていた場所であったことが伺われます。
 空素沼には、他にも多くの伝説が伝えられ、また同じような内容でも細かい部分が異なっている例もいくつか見られます。まさに伝説に包まれた空素沼。賑やかな国道からわずかな距離に、こんなにも緑豊かで神秘的な場所があることに、秋田市の自然と歴史の奥深さを感じます。




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