2001年11月9日号

市長ほっとコラム

真の「地方の時代」をめざして
市長●佐竹敬久


「地方の時代」と言われて久しくなりますが、どうも言葉どおりには事は運ばず、最近はむしろ「地方」を巡る環境は大変に厳しくなってきているような気がします。
 さて、厳密に言えば「地方」という言葉には大きく分けて二つの意味があります。
 その一つは、東京や大阪など大都市圏に対し、私たちが住んでいる秋田のような、いわゆる地方圏を指す場合です。
 もう一つは、国いわゆる中央政府に対し、秋田県や秋田市など地方自治体を指す場合です。
 このいずれの場合も、バブル経済の崩壊後、経済情勢が悪化し、必然的に公共財源が縮減する中で、大都市圏と地方圏とで、その「分け前」を巡る対立の構図になってきました。

 大都市圏の住民や自治体は、「熊しか通らない道路や、使いもしないテニスコートを山の中に造っている、地方の無駄な公共事業はいらない…」と言います。
 それに対し我々地方圏の住民や自治体は、「大都市圏の住民の食料は地方で作っており、道路がなければ農産物も運べないし、都会の人の観光ニーズにも応えられない。地方の公共事業がいらないというのは都会のエゴだ…」というような反論を行います。
 どちらももっともなことですが、この根底には、国税も地方税も地方の公共事業の財源となる税金の大部分は都会人が負担している、ということにあります。
 実は、秋田県を例にとっても、県内で使われる国、県、市町村の予算は、県内で生ずる国税、地方税の五倍近くになり、いわば七〜八割は大都市圏で生じた税金をもらっている、という勘定になります。
 また、大都市圏の人口が地方圏の人口よりも多くなるにつれて、国も次第に大都市圏の意向を汲み入れなければならないようになり、地方への財源配分を減少させる流れになってきています。
 現在の構図としては、いわゆる地方圏の自治体としては、これを座して見守る訳にはいかず、国や大都市圏の自治体に、声を大きくして地方の重要性を訴えているところです。 いずれ、同じ自治体同士で「分け前」を巡って争うなどは、はしたない気もしますが、地方自治体を預かる身としては、現実の問題として最善を尽くさなければならないことは確かです。
 しかし、我々も果たしてこれまで無駄な事業はやってこなかったのか、どうせ国から来る補助金で、いわば自分の懐ではないということで、安易に事業を進めてこなかったのか、反省する点も大いにあるような気がします。また、多くの税金を支払っているのにもかかわらず、毎日通勤地獄にあいながら、ましてや安い使用料で使える公共の集会施設やスポーツ施設などが、近くにはほとんどない大都市圏の住民の気持ちを、少しは理解することも必要ではないかと思います。
 分け前ばかりを求めていては、真の地方の時代はなかなか来ないような気もします。



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