2001年12月28日号

あきた不思議発見伝

秋田市の歴史に伝わる不思議な話、謎、謎、謎…


リサイクル精神から生まれた
藩士の不思議本「耳の垢」

江戸時代、秋田藩士の長山盛晃が書いた「耳の垢」という非常にユニークな本があります。
 この本は、著者が耳にした秋田の不思議な話をまとめたもので、怪奇現象に出会った時の心得、秋田藩士が西瓜ぐらいの大きさの火の玉を捕まえた話、夜な夜な動き出す久保田城内の衝立に描かれた絵の話など、当時の人々の話題になった怪奇話がたくさん収められています。中には、昭和五十年代に全国をかけめぐった「口裂け女」に非常に似た話が、保戸野での話として紹介されていたりもします。
 「耳の垢」で紹介されている話は、荒唐無稽なものばかりではありません。
数十冊にもわたる「耳の垢」。
どの紙を透かしてみても裏に文字が…

例えば、「八橋では土が燃え出すことがある、これは土の中にたまった人や馬の血が燃えているのだろう」という話は、八橋油田を物語るものですし、「寺内の砂の中から奈良の薬師寺のものに似た古い瓦がたくさん見つかった」という話は、現在、発掘調査によって明らかにされている秋田城跡の瓦と考えられます。このように当時としては、「不思議話」であっても、今日、その謎を解明されている話もいくつかあり、とても興味深いものです。
 このように不思議話を中心とした様々なエピソードを通じ当時の世相が活き活きと描写されている「耳の垢」ですが、この本自体にも、とてもユニークな特徴があります。

藩政時代のリサイクル
紙はすべて反故紙

 それは、「耳の垢」がすべて、反故紙、つまり、一度使用した紙の裏側を使って書かれているということです。子どもの頃、チラシの裏を落書き帳にしていた経験がある人も多いかと思いますが、反故紙の裏だけを使って本を書くということはとてもユニークなことです。著者の長山盛晃も、「耳の垢」の中に「子孫に清書をして欲しい」と書いてありますから、本当は上質の真新しい紙に書きたかったのかもしれません。
 何故、「耳の垢」が反故紙の裏で書かれているのでしょうか。それは、秋田藩のリサイクル政策に理由があるようです。実は、この本に使われている反故紙の多くは、秋田藩で不要になった公文書なのです。当時、秋田藩では「反故紙の再利用を進めるように」という御達しが何度か出されるなど紙を大切にしていました。藩の財政を考え、経費節減を目的とした政策と考えられます。長山盛晃は、秋田藩から出される大量の反故紙の有効な再利用方法として、自分が見聞きし、後世に残したいと思った興味深い話を「耳の垢」として書きまとめたのでしょう。

不思議本「耳の垢」
 「耳の垢」が書かれた時代からおよそ百五十年。今の私たちも、紙の分別を徹底し、再生できる紙を回収したり、メモ帳などには使用済みの紙の裏側を利用する「エコオフィス運動」に取り組んだりしています。
 環境保護、資源の循環型社会の実現が求められている今日、秋田藩のリサイクル運動が生んだ不思議本「耳の垢」には、その興味深い内容とともに、現在にこそ活きる理念が詰め込まれています。


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