2004年12月10日号

くぼた旧町名物語・まちの生い立ち


(8)内町編
「けやき」と「松」が静かに四百年を語りかけるまち


 商人・職人などが住んだ外町に対し、佐竹家の家臣をはじめとする、侍屋敷が軒を連ねた内町。その町割りもまた、久保田城築城とともに進められました。
 こうした武家のまちは、久保田城の本丸・二の丸を取り囲む三の丸や、現在の旭川よりも東側の千秋、中通、手形などに配置され、城に近いほど佐竹家の重臣が住んでいました。



大手門と中土橋門には重臣が居住

 城内三の丸にあった「上中城町」「下中城町」には、いずれも藩を支えた重臣が屋敷を構えました。
 「上中城町」は、城の正面玄関となる大手門通り付近、「下中城町」は、中土橋付近にありました。
 大手門は明治初年に取り壊されその面影は残っていませんが、家老の渋江邸、梅津邸があった県民会館、県立美術館の高台には、城下の歴史を見守ってきた樹齢三百年ともいわれる大きなけやきや黒松が、今も力強く根を張り、城の守りと言わんばかりに、外から見るものを威圧しているようにも見えます。
 その中土橋を下った所にある「東根小屋町」「西根小屋町」は、藩主の参勤交代の通路にあたり、上級家臣の屋敷がありました。「根小屋」とは「城を控えた城下の村」という意味があります。
 九代藩主・佐竹義和は、寛政元年(一七八九)、藩政改革を担う人材育成を目的に、この町に藩の学校「明徳館」(※)を開設しました。明徳館では、儒学、武芸、医学、国学などが教えられ、明治四年に廃藩置県とともに廃校となるまで、多くの高名な学者を輩出。希望に満ち、志の高い藩士たちがここで一生懸命勉強しました。
※「明徳館」という名称は、文化8年(1811)から。


公式行事「鷹狩り」のもう一つの意味

 城に仕えるものたちの役職にまつわる町名がついた「台所町」と「鷹匠町」は、ともに寛永八年(一六三一)の町割りで作られました。
 「台所町」は城の厨(台所)で働いた人たちのまち、「鷹匠町」は鷹を訓練し、鳥やウサギなどの野生動物の狩りをする鷹匠が代々住んだまちでした。
 ちなみに、初代藩主・義宣は鷹狩りを好み、年十回を超えるほど、鷹狩りに出かけました。おもに太平、下北手といった近場から、八郎潟、男鹿半島まで出かけ、白鳥やキジなどを捕獲したようです。その後、鷹狩りは、藩の年中行事に位置づけられるようになり、正月四日には、年始の行事として「御初野」と称される鷹狩りが行われるようになりました。
 公式行事のため随行者も多かった鷹狩りですが、実は単なるレジャーだけではなく、領内視察という意味もあり、政策的な意図もあったようです。


城下を治める要のまち

 外町の川端と旭川を挟んで対面する土手長町は、中級武士の屋敷が並びました。町名は、築城にともなう旭川掘替えの際にできた土手に由来するものです。
 土手は昭和二十年代の道路拡幅により取り払われましたが、当時のままに保存されている「鷹の松」と「鑑の松」を支える土塁がその土手の高さを知る上で貴重なものとなっています。
 また、武家の町と町人のまちとの間に位置した土手長町には、寛永二十年(一六四三)、町奉行が勤務する町処が設けられました。明治時代に、秋田県庁と市役所が土手長町に開庁したのは藩政時代の名残といえるでしょう。

 活気に満ちあふれた外町と、城下の秩序を守る凛とした雰囲気が漂う内町。「動」と「静」のエネルギーのバランスが取れたまち。現代のまちづくりにも共通するキーワードかもしれません。


城下町・御休み処


変わらぬ流れ
建都の遺産・旭川

“あさ日川 夕日の色もせき入れて
  くれなゐふかき 梅のした水”

 これは、江戸時代の紀行家・菅江真澄が詠んだ和歌です。歌にも出てくる「旭川」は、その源流が太平山の旭岳に端を発することから、九代藩主・佐竹義和の命を受けた真澄が名付けたと伝えられています。
 久保田城築城とともに着手した旭川の堀替え工事は、通町から川口境までの区間で行われた一大公共事業でした。作業に駆り出された農民は延べ10万人を超えたとも言われます。
 当時の旭川は、内町と外町の境界を成す水域であるとともに、貴重な生活用水の供給源でもありました。川端の所々には、いくつかの町が共同で管理する、「川戸」「川道」と呼ばれる水汲み場があり、そこは、飲料水を汲み上げるほか、洗い物、洗濯をする場所としても利用されていました。   
 また、川沿いに「塵塚」(ごみ捨て場)も数か所に設置され、ごみを積んだ舟が川を下ったりもしていました。しかしその一方でごみの不法投棄が後を絶たなかったという残念な記述も残されています。
 ともあれ、城下の人びとの生活に欠かすことができなかった旭川。400年経った今も、その流れは心いやしてくれる貴重な存在となっています。


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