2007年2月1日号

伝統がある。
ここにしかないもの。

ふるさとが好き。


 1月は、市内各地でいろいろな小正月行事が行われました。長い歴史を受け継ぐ、ふるさとの大切な伝統です。
 まわりに何気なく存在するものが、実は、すごく貴重なものだったりすることって、ありますよね。そんな、ふるさとの文化を、いくつか紹介します。

鳥追い(河辺赤平地区)

 河辺赤平地区の伝統行事「鳥追い」。無病息災、五穀豊穣を願う小正月行事のひとつです。その歴史は古く、三百年ほど前から行われてきたとも言われています。

 一月十五日の夜、おそろいの赤いはんてんを着た子どもたちが「鳥追いの歌」を歌いながら町内を練り歩きます。「夜鳥ホーイホイ、朝鳥ホーイホイ」という歌声とホラ貝の音が、しんとした闇に響きわたります。行列は三十分ほど歩いた後、岩見川にかかる赤平橋へ。紙で折った鳥に願いを込め、橋の上から川へ投げ入れました。これには、稲を食べる鳥や害虫を追い払うという意味が込められています。
 親の会の田口佳宏会長は、「伝統を守るのは良いこと。町内の子どもたちも全員参加してくれて、みんなの結束は固いです。少子高齢化で子どもが減ってきてはいますが、この鳥追い行事はこれからもずっと続けていきます」と力強く話してくれました。
 鳥追いに参加した石塚絵理奈さん(赤平小二年)は、「私が飛ばした折り紙の鳥は、ちゃんと川に落ちていったよ。『ホーイホイ』って、みんなで歌って楽しかった!」と、寒さも吹き飛ばす笑顔。地域の伝統は、親から子へ、しっかりと受け継がれています。

ヤマハゲ(下浜、豊岩、雄和など)

 一月の中旬に、豊岩などで行われる「ヤマハゲ」。木彫りの面をつけ家々をまわり、地域のしあわせを願います。地域を愛する人たちが、その伝統を支えています。

 一月十三日午後六時、豊岩居使地区。恐ろしい形相の面とヨ(イ)ブスマと呼ばれるぼろぼろの衣装、手には木で作った包丁を持ったヤマハゲが、地区の家々をまわり始めました。
「うおぉー、泣ぐ子はいねぇがぁ!」
「お母さん、お父さんの言うごど聞いでるがぁ」
「いじめればダメだどぉ、山がら見でるがらなぁ」
 ヤマハゲにふんする五十嵐弘美さんは「最近の子どもは怖がらない。むかしは寝床に隠れた子どもの布団をはがして、怖がらせたもの」と、少し残念そうですが、それでもこの日訪れた家の子どもたちは、神妙な顔で「言うことちゃんと聞きます」。中には家に入った途端、泣き出してしまう子どもも。
 五十嵐さんは「子どもも、ヤマハゲをやる若者も少なくなってきた。でもがんばりますよ。地域みんなのしあわせを願うのはもちろん、人と人とのつながりを大事に思う気持ちが生まれてくれれば、という心意気で家々をまわっています」と話してくれました。

 同じ豊岩の前郷地区のヤマハゲは、まさに「おっかない鬼」の雰囲気。八郎潟の藻で作ったという髪の毛と、黒く光る面、分厚いヨブスマで、さらに怖さが引き立ちます。一月十五日の夜、わら靴を履いた八人のヤマハゲたちが暗闇に歩き出していきました。
「古くから伝わってきた伝統をしっかりと守っていきたい」と話してくれたのは、町内会長の武藤幸雄さん。「ヤマハゲは町内のコミュニケーションにも貢献しています。前郷も人口は減少の一途。ヤマハゲをやってくれる若い人が増えるといいですね」と話します。
 家々をまわり終え、面をとった八人のヤマハゲ。怖い面の中身は、自分が住むまちの伝統を伝えようという熱い思いを持つ、やさしい人たちでした。

ダリアに染〜まれ!

 国内最大規模のダリア園がある雄和地域。ダリア染めを地元の特産品にしようと始まった活動は今年で10年目を迎え、間もなく作品が店頭に並びます。

 雄和にある「秋田国際ダリア園」は、国内最大級のダリア園。約七百品種、七千株のダリアを栽培する人気スポットです。
 平成十年、雄和町観光協会の職員だった渡辺和弘さんは「お客さんはダリアを見て終わり。持ち帰る物がないのはもったいないな」と、ダリア染めを思いつき、草木染め工房の先生と「ダリア染め教室」を始めました。
 染料の出来が良くても、実際染めてみると、「あれっ?」と思うこともあったそうですが、研究に研究を重ねて発色の具合を改善。昨年六月、商品化に向け、「雄和ダリア染め研究会」を発足しました。今年四月には、雄和地域の土産物屋などで販売を開始する予定です。
 「登山家が山に登る理由は『そこに山があるから』。私たちは『雄和にダリアがあるから』です。いずれは秋田市・県の特産品と言われたい」と渡辺さん。研究会メンバーは、さらなる高みをめざし研究に余念がありません。

問い合わせ…雄和ダリア染め研究会の渡辺和弘さん
tel090-3645-8267

版画に込めた郷土愛

 今年没後三十六年になる版画家・勝平得之。生涯秋田を離れず、郷土の風俗を描き続けました。
 郷土秋田を愛し、意欲的に創作活動を続けた勝平得之は、本名を徳治といい、明治三十七年、鉄砲町(現在の大町六丁目)に紙漉き業の長男として生まれました。二十四歳のとき、独自の彩色版画の技法を完成、画号を「得之」と改めます。
 勝平は秋田を離れることなく、その豊かな自然や風俗を描き続けました。初めて中央の展覧会に出品し入選した作品も、帝展に入選した「雪国の市場」も、郷土の素朴な風景を描いた作品でした。
 また、人形で遊ぶ愛らしい子どもや、雪に映えて美しい花売りの女性を鮮やかな色彩と力強いタッチで描いた連作(「花四題」など)では、当時の様子だけでなく、人々の気持ちや息づかいまで伝わってきそうです。
 勝平が風土と人へ寄せる温かい思い。それは、数々の芸術作品に込められ、後世に受け継がれています。

赤れんが郷土館3階にある勝平得之記念館には、彼の作品のほか、愛用した道具や版画の製作工程も展示しています。
赤れんが郷土館tel(864)6851

「大正寺に生まれたことを誇りに思っています。」

 浅野綾花さんは、大正寺生まれの大正寺育ち。ふるさと雄和に対するあたたかい思いを綴ってくれました。

「大正寺への思い」
雄和中二年 浅野綾花
 私が今住んでいるのは、秋田市雄和にある大正寺という地域です。大正寺と言われてもピンとこない人も多いと思います。しかし、大正寺は、豊かな自然に囲まれた、とてもすばらしい地域なのです。
 私が大正寺の良さをこのように胸をはって言えるようになったのは、実はごく最近のことです。それまでは人も少なく、中学校も雄和中に統合されてしまったこの地域を自慢することはできませんでした。自然を美しいと感じるのではなく、山と川しかなくてつまらないなと思ったこともありました。
 でも、今は違います。それは、誇れるものがあるからです。みんなに伝えたい大切なものができたからです。
 大正寺といえば忘れてはいけないのが伝統芸能です。その中でも私たちにいちばん身近なのが「大正寺おけさ」という民謡です。毎年夏には、「おけさ踊り」というイベントが開催され、たくさんの観光客が訪れます。大正寺地区の子どもたちは、保育園時代から民謡に合わせた踊りを習い、祭りに参加してきました。幼い頃はかわいい浴衣を着て踊るのが楽しみだったものの、学年が上がるにつれ「ああ、今年も踊らなきゃいけないのか」と思うようになっていきました。「人前で踊るのなんて恥ずかしい」「民謡なんて古くさい」、そんな気持ちだったと思います。
 そんな私の気持ちを一変させたのが、音楽の授業の民謡の学習でした。ゲストティーチャーとして大正寺おけさ保存会のかたが来てくださり、私たちに大正寺おけさの歴史について話してくださったのです。江戸時代に長崎の港から伝わってきた民謡であること、全国のいろいろな場所に大正寺おけさによく似た民謡が残っていることなど、初めて知ることばかりでした。
 その中でも私が驚いたのが、そんなに伝統のある民謡なのに、二十数年前の大正寺には、歌う人が誰もいなくなっていたということでした。幼い頃から耳にしていただけに信じられませんでした。さらにその消えかけていた大正寺おけさを復活させたのが、当時の青年たちの「ふるさとに誇れるものがほしい」という熱意だったこともわかりました。お話の最後に保存会のかたがこう言いました。
 「当時青年だった俺たちは、大正寺がとてつもなく田舎だということに引け目を感じていた。田舎で、何もないことがすごくいやだった。その閉塞感から逃れたいという気持ちでいっぱいだった。でも、大正寺おけさを見つけ、なんとか復活させようと活動する中で、大正寺を誇りに思う気持ちがどんどん強まっていった。俺にとって大正寺おけさとの出会いが、ふるさとを意識する原点だった」と。
 この話は、私の心に強く響きました。今まで大正寺をただの田舎だと思っていた自分が恥ずかしくなり、逆に大正寺を誇りに思う気持ちがわいてきたのです。この大正寺にあるのは、豊かな自然だけではありませんでした。全国各地に兄弟の民謡があるという、伝統ある大正寺おけさ、そしてその大正寺おけさを復活させようと一軒一軒まわり、思いを伝えた当時の若者たちの熱意、その思いに耳を傾け、力を貸した地域の人たちの温かさ。みんなで協力し合ってきたからこそ、文化も自然も守ってこられたのだと思います。
 毎日少しずつ変わっていく自然の姿も、このふるさとを大切に思っている人たちも、復活させた「大正寺おけさ」という伝統芸能も、そのすべてが私の自慢です。この大正寺のよさを、今まで大正寺という地域を知らなかった人にも、ぜひ知ってほしいです。私は今、この大正寺に生まれたことを誇りに思っています。そしてこれからも、この大正寺のすべてを大切にしていきたいです。
(第54回秋田市児童生徒朗読・弁論大会最優秀賞)


Copyright (C) 2007秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.
webmaster@city.akita.akita.jp