2009年3月6日号

郷土の偉人。その人

新屋が生んだ偉大な農業指導者
森川源三郎


 石川理紀之助、齋藤宇一郎とともに秋田県の「農業三大人」と称された森川源三郎。質素で勤勉、そして農民の生活向上のため、ひたすら実直で利他的に明治・大正期を生きた郷土の偉人です。

生涯を農業に捧げる

 森川源三郎は、1845(弘化2)年、河辺郡新屋町百三段新屋字黄金谷(現在の新屋表町)に秋田藩士の長男として生まれました。武士として文武の修行に励みながらも、若いころから農業を志していたようです。
 時代が明治となり、24歳で戊辰戦争に出兵。35歳の時に秋田県植物自由試験場(半官半民の農業研究機関)担当人を命ぜられ、以降、大豆、麦類など農作物の品種改良や栽培方法の工夫・研究を熱心に行い、その成果を惜しみなく人々に広めました。また、疲弊しているにもかかわらず、生活ぶりがぜいたくになっていく農村の状況を憂え、貯金の大切さを訴えます。その行動は、各地に郵便貯金組合、稲作講などが創設されるきっかけになりました。

「天下に廃物なし」の思想

 第一級の農業指導者としてさまざまな活動を行い、県内外の農業発展に尽力した源三郎。晩年は上北手古野二見山に「余楽庵」を建てて住み、山居生活を送りました。
 余楽庵での生活は非常に質素なものでした。農具、生活道具などは修理して長く使い、廃物を利用して自作の道具を作るなど、「天下に廃物なし」と唱えました。エコやリサイクルの大切さを伝えるこの言葉は、現代に生きる私たちにとっても、心に響きます。
 1926(大正15)年、82歳で亡くなる際、遺訓として「三心」という言葉を遺しました。三心は「発心」「決心」「相続(継続)心」の三つ。「物事を思い立って行おうと決めることも大事だが、それ以上に続けていくことが大切である」。源三郎の人生そのものを表す言葉と言えます。

「秋田市歴史叢書3 森川源三郎史料」を刊行

 森川源三郎の孫にあたる森川カツさんから寄贈された資料をもとに、森川源三郎の人となり、年譜、日記などを収録しています。
 B5判、181ページ、定価千円。購入希望のかたは、文書法制課へご連絡ください。

森川源三郎資料展

 5月に西部市民サービスセンターで資料展を開催します。森川源三郎が使用した眼鏡や作業着などのほか、石川理紀之助からの手紙などの資料を展示します。詳しい日程は、後日、広報あきたでお知らせします。
◆問い合わせ
文書法制課歴史資料担当
tel(866)8913


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