※掲載している情報は「広報あきた」発行当時のものです。
2010年8月6日号

市長コラム

秋田市ホームページで市長の動向や記者会見の
内容などをお伝えしています。
「市長ほっとコーナー」
http://www.city.akita.akita.jp/city/mayor/

いつの日か、この交流から
  〜マトリョーシカとキムチ

市長穂積 志


7月8日、秋田市医師会と災害時にお
ける応急医療救護活動に関する協定を
締結しました
 このほど韓国・ソウル市と本市の姉妹都市であるロシア・ウラジオストク市を訪問しました。秋田ソウル国際定期便の利用促進活動とウラジオストク市建都150周年記念式典に招かれたことなどのためです。
 私は国内外を問わず秋田を離れた際は可能な限り自分の足で歩き、現地の人と直接話をするように心がけています。そのことによって、目の前を風景がゆっくりと流れ、車窓からでは気付かないことが見えてきたり、その土地土地の風合い、というか手触りのようなものが感じられたりするからです。ちょっと気取って言えば、「隠されていた物事の本質が浮かび上がってくる」こともあります。
 今回の訪問でもいくつか興味深いことがありました。ロシアの土産といえばマトリョーシカ。今ではすっかりおなじみです。人形の中に人形が入っていて、これが何度か繰り返されます。一見どれも同じようですが、よく見るとそれぞれ形や色、そして表情に個性があり眺めていて飽きません。
 私は、この人形にかつての日本との交流が隠されていたことを知りませんでした。19世紀末、箱根にやってきた修道士が本国に持ち帰った「入れ子人形」がマトリョーシカの起源になったという説です。諸説があるにしても、とても面白く話を聞くことができました。
 一方、今や漬物の定番ともいえるようになったキムチ。韓国や北朝鮮のいわば国民食が日本に入ってきたものです。この辛い漬物の誕生にもわが国の歴史が微妙な影を落としているという説があるのです。白菜の塩漬けとしては、もともと朝鮮半島で食べられていたのですが、当時唐辛子は使っていなかったようです。ところが、16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮出兵、いわゆる「慶長の役」で唐辛子を持ち込んだことが辛いキムチの発祥になったとのことです。
 長い歴史の中で、こうした交流はきっと幾度となく繰り返されてきたことでしょう。中国大陸や朝鮮半島から日本へ、そしてその逆もまた。
 市民、行政、企業など主体はさまざまでも、秋田市ではいろいろな形で世界各地との交流が行われているはずです。私たちの交流がきっかけとなって、いつの日か世界のどこかで「今食べたデザートは、日本の秋田市というところから伝わった○○○からヒントを得てできたんだよ」などという会話が交わされていたら楽しそう…などと一人で勝手なことを想像していたら、ソウル仁川空港からの直行便は、もう秋田空港へ着陸体勢に入っていました。

今年の竿燈も大勢の観光客でにぎわいますように


Copyright (C) 2010秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.
webmaster@city.akita.akita.jp