もう40年近く前の8月6日。学生だった私は、あまり暑くならないうちにと、朝早くから親戚の家で庭の草取りの手伝いをしていました。突然、真っ青な空にサイレンの音が鳴り響き、草取りの手を休め、しばらくの間、まぶしい空を見上げていたことを覚えています。朝の8時15分、それが、私が初めて広島の原爆の日をはっきりと意識した最初の出来事でした。
広島市に一発の原子爆弾が投下され一瞬にして多くの尊い命が失われたのは、今からちょうど70年前。今年は終戦から70年の節目の年に当たります。
日頃から秋田市では、平和や戦争をテーマに講演会などを企画してきましたが、今年は7月4日からエリアなかいちのにぎわい交流館AUで、「ヒロシマ原爆と土崎空襲展」を開催しました。その中で、広島市の川本省三さん(81歳)の講演を聞くことができました。
今までも、直接被爆を経験されたかたの講演会はありました。今回、これまでと違うところは、川本さんは両親や兄弟を原爆で失っていますが、ご自身は、投下時直接の被爆者ではなかったということです。当時11歳だった彼は、家族とは別に爆心地から50キロほど離れた三次市に疎開中でした。にもかかわらず、原爆のためにいろいろな差別を受けた話には、とても胸が痛みました。
孤児となった川本さんは、「結婚するなら好きな人と」思い、その頃お付き合いしていた女性の家に伺ったものの、「あなたは広島で生活していたそうだね。放射能汚染の疑いがあるから娘を嫁にはやれない」と彼女の親に言われ自暴自棄になったこと。あまりのひもじさに食べ物をあさったことなどを、感情を抑えるように淡々と話されていました。
投下時の直接的な被爆ではなくても、差別や貧困、残留放射線の問題をはじめ、原爆が落とした暗い影には私たちの想像をはるかに超えるものがあると改めて思い知らされました。
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