個人的に感慨深かったのは、震災から2日後、大学受験などで秋田市を訪れていた30人余りのかたが、交通機関の運行の見通しが立たずアルヴェの避難所で身動きがとれない状況にあることを知り、急きょ添乗員付きのバスを仕立てて仙台駅までお送りしたということがありました。
また、震災が影を落とした暗く長い夜に希望の光を灯したいという一心で、その年の竿燈には釜石市などの子どもと家族を招待しました。加えて、平成26年の国民文化祭では、「はばたけ秋田っ子小学校文化フェスティバル」に石巻市などの小学生を招待し、子どもたち同士の交流につながったと思います。平成27年には、東北六魂祭を秋田で開催しました。六魂祭で初めて、夜空に竿燈の灯が浮かび上がった瞬間は胸が熱くなったことを思い出します。
この任期中、一方で強く感じたのは、急激な少子高齢化と人口減少の大きなうねりです。昨年度策定した市の総合計画などにおいても、これらを最重要課題として、産業の振興と雇用の創出、また、まちづくりや子育て支援に向けた施策などを盛り込んでいます。詳しくは計画をご覧いただくとして、ここでは自分なりの思い入れをご紹介しましょう。
一つは待機児童対策の一助になればと思い、市長公舎を定員40人の認可保育所に改築したことです。さらにもう一つは、秋田公立美術工芸短大を4年制大学にする際の設置認可に対する当時の文部科学大臣の不認可の動きです。開学を待ち望む受験生や関係各位には大変ご心配をおかけしましたが、ただこのとき、市民をはじめ議会や教育、芸術に関わる幅広い分野のみなさんから、大きな支援と期待が寄せられたことは、何よりも心強く励みに感じました。
以上駆け足で振り返りましたが、改めて痛感するのは、市が掲げる施策には、具現化するためのストーリーが必要であるということです。今、このときにこの状況に居合わせた市長として、胸に迫ってくるものを感じています。
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