※掲載している情報は「広報あきた」発行当時のものです。
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2025年2月7日号
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市長コラム |
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秋田市長 ● 穂積 志(もとむ) |
令和7年の幕開け〜千秋の鐘の物語 |
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新たな年をみなさんはどのようにお迎えでしたか。私は大みそかの夜から元旦にかけて、千秋公園の時鐘(ときかね)・千秋の鐘で除夜の鐘を撞(つ)きました。比較的穏やかだったとはいえ秋田の冬の深夜です。風が強く底冷えするなか、令和7年が災害のない年となるよう、厳粛な気持ちで市民の安寧を祈りながら撞くことができました。
鐘楼(しょうろう)の老朽化により一般参加を取りやめていましたが、昨年改築工事が完了し3年ぶりに再開されたものです。鐘の前には120人ほどが並んでいて、私は本市在住の著名な金属工芸作家の林美光さん(87歳)に次いで2番目、私の次が後輩にあたる秋田南高校1年の女子生徒2人でした。幼いお子さんを連れた若い夫婦が多かったのも印象に残りました。鐘を前に林さんと話をする中で驚くような事実に接しました。 千秋の鐘について簡単にひもとくと、歴史は古く寛永16(1639)年に秋田藩二代藩主・佐竹義隆が設置したものですが、その後鐘楼の火災による焼失などの困難も、その都度乗り越えてきました。ところが先の大戦中の武器製造のため、鐘は金属類回収令による供出という歴史の荒波をまともに受け一時はその姿を消していました。しかし昭和23(1948)年、そこで復活させたのが当時林金属工作所を経営していた林兄弟で、その三男に当たる勇三郎さんの長男が林美光さんです。 この物語には続きがあって、戦後テレビやラジオの普及により時刻を報ずる役目が次第に薄れていくという社会的な環境の変化に加え、鐘楼も老朽化が進み、昭和43(1968)年、またしても鐘は廃止となりました。このときに真っ先に再建運動に動いたのが、目の前にいた林美光さんなのです。昭和46年には再建実行委員会を立ち上げ、2年間で約1万人から浄財300万円を集め、再建資金としてそっくり秋田市に寄付しています。 考えてみると400年近くにわたり秋田市民に荘厳な響きで時刻と時代の流れを伝えてきた千秋の鐘も、幾多の困難を乗り越えて今あるのです。秋田市政にも困難や荒波も押し寄せますが、私は新たな年の幕開けに、その鐘の響きの中に身を置きながら、明確な意思と行動があれば必ずや乗り越えられるという勇気と元気をもらった気持ちです。 そういえば新春早々、宝島社の「田舎暮らしの本」“住みたい田舎ベストランキング〟で、本市が人口20万人以上の都市において、若者世代・単身者部門の1位に3年連続で選ばれたという吉報が飛び込んできました。毎年結果に一喜一憂するつもりはありませんが、継続にはそれなりの価値があるのではないかと思います。みなさまにとって今年一年もまた良い年でありますよう願っています。 *「住みたい田舎ベストランキング」の紹介ページはこちら。 |
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