2000年
10月13日号



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あきたノスタルジー

●秋田の昔を、写真で振り返ります。

藩校「明徳館」の発掘現場
藩校「明徳館」の発掘現場。石の土台に乗せられた校舎の柱が見つかりました


当時の明徳館
当時の明徳館・小学教科秋田県史話より

仲小路の一角、旧日赤病院横の婦人会館跡地では、
中央街区の再開発を前に、秋田の教育史を探る発掘調査がすすめられています。
かつて、ここには9代秋田藩主佐竹義和(よしまさ)が設立した藩の学校「明徳館」がありました。
地面を掘ること約1.5メートル。これまで、校舎の一部と思われる柱や、食器などが見つかっています。
明徳館は、藩政を支える優秀な人材を育成・確保するため、寛政元年(1789)に開校しました。
当時、200人もの藩士たちが通学、または寄宿しながら、
儒学や医学、国学といった学問にいそしみ、教養を深めていったといわれています。
その後、明徳館は、廃藩置県により明治4年(1871)に廃校。翌年からは県学校として利用されました。
秋田の教育史に名を刻む藩校「明徳館」。
知的な香りが漂うこの場所をいつまでも心にとどめておきたいものです。  

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