第4章 中核市スタート

1. 中核市移行式、保健所開所式

 平成9年4月1日、秋田市は、中核市としての記念すべき第一歩を踏み出した。この日の秋田市は、春とはいえ吹く風が北国の肌寒さを感じさせるほどであったが、天気は快晴であった。
 本市では、中核市移行を記念して、中核市初日となるこの日、中核市移行式と保健所開所式を行った。

(1)中核市移行式

中核市移行式市長あいさつ
 平成9年4月1日、本日、秋田市は中核市としての記念すべき第一歩を力強く踏みだしました。この一歩は、本市の発展を限りなく未来へと続けるための、大いなる一歩であると確信しております。言うまでもなく、今日の成果は、本市がこれまで積極的に取り組んでまいりました地方分権へのたゆまぬ努力が、見事に中核市移行実現という結果を生み出したものであり、故に平成9年度は、本市の歴史のなかでも市民のための市政を一層実現させたという記念すべき年になるものと、言えるのであります。

 また、本市がこの晴れやかな日を迎えることができましたのも、市議会議員各位をはじめとする市民の皆様のご支援ご協力のたまものと、心から御礼を申しあげます。さらに、この間、多大なご支援をいただきました秋田県に対し、深く感謝を申しあげる次第であります。

 中核市移行の最も大きな意義は、申しあげるまでもなく、今日における歴史的・社会的要請である地方分権を実践することに外なりません。したがいまして、本市は、中核市に課せられた地方分権の推進役としての使命を心に深く刻みながら、きめ細かな市民サービスをさらに拡大し向上させることに全力を尽くしてまいります。

 また、中核市としての本市は、県全体の発展を引き続き牽引していくことはもちろんでありますが、それに加えて、国土構造を見据えながら、行政区域を超えた広範な地域を視野に入れて、北日本および日本海側の拠点都市としての発展をめざしてまいります。さらには、その先に、世界における数ある都市の一員としての視点を有しながら、人類の悠久の歴史に残りうる、卓越した都市たり得ることを志してまいりたいと思うのであります。

 本日、中核市として新しい時代への扉を押し開き、輝かしい未来への一歩を踏み出した秋田市には、従来にも増して自分たちのまちを自分たちで創るための素地ができあがりました。私は、輝かしい未来を形作るため、全身全霊を傾注してまいる決意であります。ここに集っている市の職員には、気持ちを引きしめて新たな任務に精励されんことを、さらには一層の勤務努力を期待するものでありますし、市議会議員各位をはじめ、市民の皆様におかれましては、自らの手で未来の秋田市を創りあげていくため、力をあわせ、ともに歩んでくださることをお願い申しあげ、本日のごあいさつといたします。

 午前9時から、市役所前芝生広場にて、中核市移行式を行った。市の職員、市議会議員、県関係者ら約600人が出席した。秋田商業高校吹奏楽部によるファンファーレで幕を開け、石川市長が中核市としての決意を述べた。
 続いて、鈴木市議会議長があいさつを行い、秋田県知事(小山永樹市町村課長代読)から祝辞をいただいた。また、自治大臣、厚生大臣、郡山市長のメッセージを披露した後、くす玉を割るとともに、看板の除幕を行った。くす玉は、市長と旭北小学校4年生の伊東信哉君、平ひろみさんの3人が、看板除幕は、県市町村課長、市議会正副議長、前中核市に関する調査特別委員会委員長、第一助役、第二助役、収入役が行った。くす玉が割れ、看板の幕が取り除かれると同時に、花火があがり、ファンファーレが高らかに鳴り響き、華やかな雰囲気のなか移行式を終了した。

(2)保健所開所式
 中核市移行式に先だって、午前8時15分から、秋田市保健所正面入口で保健所開所式を行った。市長や正副議長をはじめとする市関係者、県福祉保健部長等の県関係者ら約30人が出席した。秋田市保健所の開所を祝い、市長があいさつを行った。続いて、市議会議長があいさつを行うとともに、県福祉保健部長から祝辞をいただいた。市長ら出席者の代表が、秋田市保健所の看板を除幕し、拍手のなか保健所開所式を終えた。開所式終了後の午前8時30分からは、市民の保健サービスを担う秋田市保健所がさっそく業務を開始した。



戻る
home 次へ


市章
Copyright (C)1998,1999 秋田県秋田市(Akita City , Akita , Japan)
All Rights Reserved.
webmaster@city.akita.akita.jp