2000年
8月25日号



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21世紀への遺産

時を越えて生き続ける見えない力がある。
ふるさとの文化。
いま、次代へ、確かに伝えるもの…。

 

外町町人の総鎮守
日吉(ひえ)八幡神社

 外町の守り神として、八橋の山王さんともいわれ、町人たちから親しまれてきた日吉八幡神社。
 日吉八幡神社は、平安時代に秋田市郊外の笹岡(今の外旭川)にまつられたのが始まりと伝えられ、鎌倉時代には上新城に移されました。  さらに天正十七年(一五八九)、檜山の安東実季(あんどうさねすえ)が土崎の安東道季(みちすえ)との湊合戦で勝利をおさめ、日吉八幡神社を守護神として飯島に遷座(せんざ)。その後、初代秋田藩主となった佐竹義宣(よしのぶ)も日吉八幡神社を敬い、元和元年(一六一五)、「政治の安定と外町町人の発展」を象徴する神様として、八橋の狐森(今の寺内油田)に移しました。この建物は明和七年(一七七〇)の大火で類焼し、その後、現在地(八橋本町)に再建されました。現在の拝殿は安永七年(一七七八)、本殿は寛政九年(一七九七)に建てられたものです。  秋田県指定有形文化財(建造物)十六件のなかでも日吉八幡神社は、本殿・拝殿・舞殿(まいでん)・随神門(ずいしんもん)の四棟のほか三重塔・青銅鳥居などを有し、「歴史の宝庫」ともいわれています。また、拝殿正面と内陣(ないじん)の彫刻は、精巧を極め、安藤和風(わふう)が秋田の日光廟(びょう)と激賞したほど豪華なつくりとなっています。

 

外町を練り歩く伝統の御差鉾(おさしぼ)行列

 藩政時代は、今の旭川を境に、東側は内町(うちまち)と呼ばれる侍町、西側は外町(とまち)と呼ばれる町人の町となっていました。日吉八幡神社は、商人や職人の住む外町の守り神となってきた神社でもあります。しかし外町から日吉八幡神社は遠かったため、外町の人たちは、御輿(みこし)をかついで町を練り歩く御差鉾行列を行い、自宅の前で商売繁盛や家内安全などを祈願してきました。この御差鉾行列と稚児行列は、今も毎年行われています。
   今年は九月十四日(木)午後六時に神社を御差鉾行列が出発し、翌十五日(金)は、午前十時に御輿渡御(とぎょ)と稚児行列が神社を出発し、旧外町を練り歩きます。また、日吉八幡神社に関するホームページもどうぞご覧ください。
http://www3.ocn.ne.jp/~sirou/

 

日吉八幡神社

■日吉八幡神社 TEL(862)3287
 八橋本町一丁目4-1。境内には本殿、拝殿、舞殿、随神門のほか、句碑も数多く建てられています。

 

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