2000年
12月22日号



写真で振り返るこの100年

未来は歴史の上に輝く。
〜写真で振り返る秋田市の二十世紀〜

 明治、大正、昭和、平成と、四つの時代にまたがる二十世紀もまもなく終わります。
 今世紀は人類史上希にみる激動の百年でした。戦争と平和、そして技術革新や社会資本の整備によって、人々の暮らしは劇的に変わりました。
 明治二十二年に誕生した秋田市も、今年で百十一歳。二十世紀と共に歩んだ秋田市の、この百年を写真とともに振り返ってみます。みなさんの心に残る場面はあるでしょうか。


20世紀の主な出来事

藤倉水源地の工事風景(M36)
藤倉水源地の工事風景。秋田市が水道工事に着手したのは明治36年。旭川上流の藤倉を水源として、千秋公園まで送水管を通す一大事業でした。総工費は約76万円。当時の市の予算は年3万円ですから、力の入れようが分かります。一般家庭への給水開始は明治40年10月


開通祝賀会(M38)
明治38年9月、奥羽本線が全線開通。数万人の見物客でにぎわった秋田駅前の開通祝賀会。開通当時、秋田〜東京間は22時間あまりかかりました


乗合自動車(T14)
大正14年6月、乗合自動車が初めて市内を走る。1区間の料金は7銭、初日の客は680人でした


八橋油田(S12)
昭和12年の八橋油田。広い田園地帯に林立する油井は壮観。前年には全国産油の70パーセント以上に達し「石油王国秋田」の名を高めました


通水爆破(S13)
雄物川放水路は、大正6年に着工し、22年の工事を経て昭和13年に通水しました。雄物川をまっすぐ海へ通す2キロあまりの放水路工事は、たび重なる水害の解消や秋田港の港湾整備の基盤を造るのが大きな目的でした。写真は昭和13年4月27日の通水爆破の瞬間


大秋田市建設祝賀会(S16)
昭和16年4月、土崎港町や新屋町などとの大合併を記念した大秋田市建設祝賀会


土崎空襲(S20)
昭和20年8月14日、終戦前夜の土崎空襲。目標となった日石製油所は全滅、死傷者多数。日本最後の被爆地となりました


千秋公園のお堀(S31)
千秋公園のお堀でスケートを楽しむ姿も(昭和31年)


山王地区(S38)
官公庁団地として整備が進む山王地区。県庁は完成し、市役所は建設中(昭和38年ごろ)


秋田民衆駅(S36)
昭和36年9月、秋季国体を前に秋田民衆駅が完成しました。鉄筋コンクリート2階建て、約6,300平方メートルで、それまでの秋田駅の8倍に。平成9年まで多くの市民・県民に利用されました


新屋割山に秋田空港(S36)
昭和36年10月、新屋割山に秋田空港が開港。これにより、秋田〜東京間は2時間で結ばれ、秋田も空の時代へ


秋田国体(S36)
民泊家庭(S36)
昭和36年10月に開かれた秋田国体。市民の笑顔と親切、民泊家庭の温かいもてなしで、まごころ国体として好評を博しました


豪雪(S49)
昭和49年1月から2月にかけての豪雪。2月10日には、秋田地方気象台観測史上最高の117センチの積雪を記録


日本海中部地震(S58)
昭和58年5月26日の日本海中部地震。秋田市では震度5を記録し、道路や建物などに多くの被害がありました


金座街(S58)
戦後、駅前の商店街として賑わった金座街。写真は、昭和58年の取り壊し前の金座街「さよならセール」


大町名店街(S60)
買い物客に親しまれていたアーケード式の大町名店街。大町地区の開発によって昭和60年に取り壊されました


「こまち」開通(H9)
平成9年3月、待望の秋田新幹線「こまち」開通。秋田〜東京間が最短3時間50分で結ばれました


秋田自動車道(H9)
秋田自動車道が平成9年11月、昭和町から岩手県北上市まで全線開通。一足先にスタートした秋田新幹線とともに、本格的な高速交通時代へ


秋田南大橋(H10)
平成10年3月、雄物川に架かる市内4本目の橋となる秋田南大橋が完成。3世代家族が集まり、盛大に渡り初め


御所野学院(H12)
平成12年4月、中高一貫校・御所野学院が開校。ゆとりある新しい教育を全国に発信


大屋根(H12)
ぽぽろーど(H12)
秋田駅西口から仲小路方面へ、ぽぽろーどと大屋根が完成。より快適な歩行者空間が生まれました
1889(明治22) ●秋田市制施行
●秋田市役所を旧南秋田郡役所内(現在の北都銀行本店の地)に置き開庁
1901 (明治34) ●市内に初めて電灯ともる
1902(明治35) ●国鉄秋田駅が開業
1905 (明治38) ●南秋田郡広山田村・旭川村・寺内村の各一部を秋田市に編入
●奥羽本線全線開通
1907(明治40) ●秋田市上水道の給水開始
●市内に電話開通
1909(明治42) ●二代目市庁舎が土手長町上丁(現在の千秋矢留町)に完成
1914(大正3) ●黒川油田(金足黒川)が大噴油。一日当たり原油二千を記録
1917(大正6) ●日本銀行秋田支店開業
●雄物川改修工事始まる
1920(大正9) ●市立商業学校開校
1922(大正11) ●電車が初めて市内を走る
1924(大正13) ●河辺郡牛島町を秋田市に編入
1925(大正14) ●乗合自動車が初めて市内を走る
1926(大正15) ●南秋田郡川尻村を秋田市に編入
1927(昭和2) ●市立秋田診療所(のち市立秋田病院と統合)開設
1928(昭和3) ●市の紋章を制定
1931(昭和6) ●路面電車が秋田駅〜大町二丁目間で運転開始
1932(昭和7) ●下水道工事始まる
●ラジオ放送始まる
1933(昭和8) ●南秋田郡旭川村を秋田市に編入
1934(昭和9) ●秋田大橋完成(雄物川に初めて永久橋架かる)
1935(昭和10) ●八橋油田が大噴油
1936(昭和11) ●土崎港町でガス事業開始
●産油量日本一に。石油王国秋田の名が全国に広まる
1938(昭和13) ●雄物川改修工事の爆破通水式。22年間にわたる雄物川放水路掘削の大工事が完成
1941(昭和16) ●南秋田郡土崎港町・寺内町・広山田村、河辺郡新屋町を秋田市に編入
●市営交通事業を開始
1945(昭和20) ●米軍機が土崎を爆撃
●市の人口10万人突破
1947(昭和22) ●地方自治法に基づく初の市議会開会
1951(昭和26) ●「広報あきた」創刊
●秋田市文化章を制定
1953(昭和28) ●建都三百五十年祭開催
1954(昭和29) ●市立秋田病院が開院
●秋田市周辺の12か村を編入。人口も18万人を超え、仙台に次ぐ東北第2の都市に
●初の市総合都市計画策定、山王地区に官公庁団地建設へ
1955(昭和30) ●金足村を秋田市に編入
1958(昭和33) ●秋田市美術館が千秋公園に開館
1959(昭和34) ●山王に県庁新庁舎が完成
1960(昭和35) ●市の人口20万人突破
1961(昭和36) ●秋田民衆駅開業
●秋田空港が新屋割山に開港
●第16回国民体育大会が開催
●市民憲章制定
●初めて秋田市総合計画を策定
1962(昭和37) ●市の花にサツキを選定
1964(昭和39) ●新市庁舎が現在地に完成
1965(昭和40) ●市電が廃止に。75年の歴史を閉じる
1966(昭和41) ●カラーテレビ放送開始
1968(昭和43) ●市の木にケヤキを選定
1971(昭和46) ●山王大通り開通
1973(昭和48) ●大森山動物園開園(千秋公園の市立児童動物園を移転)
●公園都市秋田市をつくる条例制定
1974(昭和49) ●市内で豪雪被害、積雪117センチを記録
1975(昭和50) ●秋田市中央卸売市場が開場
1977(昭和52) ●茨城県常陸太田市と姉妹都市提携
1980(昭和55) ●竿燈が国の重要無形民俗文化財に指定
●秋田市文化会館オープン
1981(昭和56) ●新秋田空港が雄和町に開港
1982(昭和57) ●中国甘粛省蘭州市と友好都市提携
1983(昭和58) ●日本海中部地震発生
●全国で初の市文化振興条例を制定
●中央図書館明徳館が開館
1984(昭和59) ●ドイツ・パッサウ市と姉妹都市提携
●佐竹家から市に千秋公園寄贈
1988(昭和63) ●市の人口30万人突破
1989(平成元) ●市制百周年記念式典を挙行
●千秋公園に御隅櫓を復元
●秋田市立千秋美術館オープン
●御所野ニュータウン街びらき
1991(平成3) ●秋田自動車道の秋田〜横手間が開通
●クアドーム「ザ・ブーン」オープン
1992(平成4) ●ロシア・ウラジオストク市と姉妹都市提携
1993(平成5) ●救急救命士と高規格救急車が登場
1994(平成6) ●ポートタワー「セリオン」オープン
●新市立体育館オープン
1995(平成7) ●秋田公立美術工芸短期大学が開学
1997(平成9) ●秋田市が中核市に移行
●新秋田駅が完成
●秋田新幹線「こまち」開通
●秋田自動車道が全線開通
●中央地区老人福祉総合エリアがオープン
●土崎神明社祭の曳山行事が国の重要無形民俗文化財に
1998(平成10) ●秋田南大橋完成
●市情報公開制度スタート
1999(平成11) ●秋田港に定期フェリー就航
2000(平成12) ●中高一貫校、秋田市立御所野学院が開校
●秋田駅西口に「ぽぽろーど」と大屋根完成


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