2000年
4月28日号



21世紀への遺産

時を越えて生き続ける見えない力がある。ふるさとの文化。
いま、次代へ、確かに伝えるもの…。

伝統の技が冴える逸品「オエダラ箕」

太平黒沢地区は、昔から箕作りが盛んな地域として知られています。中世の領主大江氏が、平家の血筋であることからほかの平家と区別するために「大江平」と名乗り、これを地元の人々が「オエダラ」と呼んだと言われています。このため、黒沢で作られた箕を「オエダラ箕」と呼び親しんできました。
オエダラ箕は、穀物や豆類を選別したり、物を運ぶ、かき集める、移すなど、農作業だけでなく日常生活においてもとても便利な道具として使われてきました。
農家の土間や作業小屋の壁や天井には必ず掛けられていたものです。 黒沢でオエダラ箕作りがいつごろ始められたかは定かではありません。江戸時代にはすでに始められていたと言われています。
箕作りが盛んだった昭和20〜30年代は、地区内120軒ほどの家のほとんどに作り手がいましたが、現在では、太平箕工藝組合(佐藤真一組合長)の会員20人だけとなり、生業としているのは、田口召平さん(62歳)ただ一人となっています。
「農業の機械化や、ビニール、プラスチック製品の普及で、自然素材で作ったオエダラ箕を使う人がほとんどいなくなってしまった」と田口さん。 最盛期には、年間5万枚ほど生産され、遠く北海道まで行商していましたが、今では200枚程度とか。
地域では、太平箕工藝組合を結成し、伝承活動や箕の保存に力を入れています。しかし、年々会員の年齢があがり、製作技術の継承は深刻な問題となっています。
箕の材料となるのはイタヤカエデ、フジ、ネマガリダケ。かつては地元太平山の山林で豊富に採れましたが、雑木林の減少などにより材料確保も難しくなっています。
完成までは、材料の加工から、編み込み、仕上げなど30近くの工程があり、それぞれ熟練した技術が必要です。 「一人前になるには、5年以上はかかるな。若い頃は夢中で、1日に10枚も作ったこともある。イタヤで作ったものは、使い込むほど米糠の油で艶がでて、なんともいえないいい塩梅になるんだよね」。
田口さんは、製作の傍ら自ら販売もして歩きます。「最近は、道具というよりお祝いの品や工芸品として買ってくれる人が多いですね」。
秋田の農業、生活を道具の面から支えてきた、オエダラ箕。一本一本心を込め精巧に編まれたイタヤカエデ。職人の誇りとこだわりが伝わってきます。生活、文化、歴史を感じさせる、次代に残したい逸品です。

オエダラ箕

■文化課TEL(866)2246
太平黒沢地区に古くから伝わる「オエダラ箕」。その製作技法が、3月2日、秋田市の無形文化財に指定されました。


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