広報あきたオンライン版

2000年
7月14日号



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二〇〇〇年六月 山王内外案内
 市長●石川錬治郎

あのひと、このひと。出来事いろいろ

●六月は「総会屋」に一時変身?
●秋田市の救命活動・社会復帰率は日本一との折り紙
●ユニークな「秋田美人論」を発見

◆ジューン・ブライド(六月の花嫁)の言葉があるように、今月四組の結婚式へ出席。また六月は各種団体・市の関係する企業の総会、役員会のラッシュ。必ず挨拶の役割がある。「まるで総会屋」と自嘲しながら駆け回る。それに議会開会の月でもあり、年中で最も忙しい月かも知れぬ。
◆夏の各種スポーツ大会も始まる。同じ日に朝は都市対抗野球秋田県予選での始球式、午後は全県高校総体の開会式。高一の時、新聞部員として昭和三十年、高校総体の体操競技の取材のため初めて秋田北高に行き、優勝者をドキドキしながらインタビューしたことを思い出す。
◆全国市長会、稲門(早大卒)市長会、日ロ沿岸市長会、日朝友好貿易促進日本海沿岸都市会議など朝から会議の連続。この間を縫って中央省庁に要望活動と、上京すると秋田に居る時よりも多忙。
◆武道館で小渕前総理の葬儀に参列。参会者に渡された小冊子には、にこやかな顔写真とともに「求明不見暗」という揮ごうが刷りこまれていた。「根暗にならず、明るくいこう」という意味か。今となってはなつかしく、貴重なお人柄だった。合掌。
◆天気に恵まれ、恒例の千秋公園での「千秋茶会」。袴を穿いて石州流はじめ各流派の席でお茶をいただく。参加の市民も四千人以上とのこと。六月の緑には和服の美人がよく映える。この種の茶会は今では仙台はじめ各地で開かれているとのことだが、秋田は比較的早い方とのこと。文字通り「忙中閑」。
◆日本病院学会が二日間開催。シンポジウムでは経法大短期大学部の田中玲子先生が秋田市の救急医療体制は日本一と報告。夜の懇親パーティーでもこのことが話題となり、各地の病院関係者から話しかけられ、鼻高々の気分。救命講習会に参加された市民の活動と医療関係者、救急救命士を中心とした消防の職員達に感謝。
◆仁井田の「秋田大蕗まつり」に参加。飛び入りで稲刈り鎌で蕗刈り。鎌などを持つのは中学生の時、実家の田んぼで稲刈りの作業をして以来四十数年ぶりか。地元婦人会や老人クラブのメンバーによる、創作の仁井田音頭や踊りの披露もあり、地域の一大イベントとなりつつある。
 イベントといえば三回目を迎えた「ヤートセ秋田祭り」も今年は旧産業会館跡地と通町で盛大に開催される。札幌から出演のグループもあり、年々盛大になる模様。
 七月は土崎、八月は竿燈、雄物川花火大会と、季節は夏祭りへ。
◆今月の収穫。賀川豊彦氏の「秋田美人論」。偶然のことから昭和五年(一九三○)十月五日、六日の魁新報に、来秋された賀川豊彦氏のインタビュー記事を見る。タイトルは「秋田美人は日本一と思う。上下」。
 賀川豊彦氏は明治、大正、昭和の社会労働・農民・生協運動家で、ベストセラー「死線を越えて」などの小説もある。氏は魁新報の記者の質問に答えて秋田美人=混血型としたうえで、最後に次のように語る。
 「僕は日本の各地を巡回した経験によって、いろいろな意味で秋田美人と沖縄美人を現代美人の最高標準に置くことを躊躇しないものです。もし僕に、秋田の各小学校児童の写真を二、三百枚貸していただけるならば、メンデルの法則に従って科学的にこれを立証することができると思います」。
 社会運動家と美人論の取り合わせが妙。

 

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